史跡巡り

【国吉城・金ヶ崎城】福井県の史跡巡り②【織田信長・明智光秀ゆかりの地】

どうも、うめたろうです。

今回は、福井県の史跡巡りの第二弾です。

前回、疋田(ひきだ)地区で、壮大に迷ったうめたろう・・・。

 

そのため、日程が押しに押し、急いで次の目的地に向かいました。

秋から冬の史跡巡りは、日が落ちるのが早いため、17時ぐらいが限界になります。

次の目的地は、若狭国吉城(わかさくによしじょう)跡です。

 

前回の記事はこちら

【刀根坂の戦い・玄蕃尾城】福井県の史跡巡り①【織田信長・明智光秀ゆかりの地】

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若狭国吉城(わかさくによしじょう)跡 難攻不落の城 福井県三方郡

 

疋壇城(ひきだじょう)跡から車で約20分ほどで、国吉城(くによしじょう)跡に着きます。

平日の真っ昼間だったので、駐車場に車は一台もいませんでした。

 

福井県三方(みかた)郡美浜町の佐柿(さがき)は、古くから敦賀から越前の入り口にあたります。

また、丹後に入る丹後街道が通っており、江戸時代には宿場町として栄えました。

 

 

まず国吉城跡に登る前に、「若狭国吉城歴史資料館」を見学しました。

若狭国吉歴史資料館は、江戸時代にあった佐柿町奉行所跡に建っています。

 

 

入口に国吉城の幕が、掛けられていました。

今年、2020年は織田信長が国吉城に入城してから、450年とのこと。

大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀のアピールもバッチリですね。

 

資料館の入場料は、大人100円でした。

受付で館内の撮影許可をもらい、写真をいくつか撮らせて頂きました。

 

 

国吉城の城主は、粟屋勝久(あわやかつひさ)でした。

この甲冑は、粟屋勝久の家臣・田邊半太夫(たなべはんだい)家に伝わるものです。

兜がウサギみたいで、珍しいです・・・。

 

 

若狭国吉城歴史資料館は、田邊半太夫家住宅を改装して建てられました。

この建物は、登録有形文化財にもなっています。

 

 

この他にも、国吉城の歴史などの解説パネルや、明智光秀の特集展示がされていました。

うめたろうは記念に、粟屋勝久の家紋バッチを買いました。

歴史資料館を見学した後は、いよいよ国吉城跡に登ります。

 

 

まず、一番心配なのは・・・、クマです。

ビビるうめたろうは、歴史資料館の受付の方に、直近のクマの目撃情報を聞きました。

 

クマは直近では、出没していないとのことだったので、ひとまず安心です。

前回の玄蕃尾城跡で杖のありがたさを知ったうめたろうは、ここでも杖を借りることにしました。

 

 

それでは、いざ出陣!!

周りに人はいなく、またしても、ひとりぼっちでの登城でした。

一人だとなんか、怖いんですよね・・・。

 

 

いきなり、頑丈そうな扉の出現です。

そして、お馴染みの「クマ出没注意」のビラがここにもある・・・。

恐る恐る扉を開け、登城します。

 

 

結構、急な階段が果てしなく続き、めちゃくちゃしんどかったです。

体力がないうめたろうは、一気に登れることができず、三回ぐらい休憩しました・・・。

正直、ここまでキツイ山城跡は、初めてだったかもしれません。

 

さすが・・・、難攻不落の城!!

 

 

もう、クマとかどうでもよくなるぐらいに、疲れました・・・。

撮影しながら登っていたのですが、最初はしゃべる余裕があったけど、途中から終始無言。

年配の方やお子様は、相当きついと思いますので気を付けてください。

 

 

必死な思いで、本丸跡に着いたうめたろう・・・。

看板には本丸跡まで30分とありましたが、休憩をとりながら登っていたので、もう少しかかりました。

本丸跡を吟味する前に、もう一回休憩をとります。

 

すると、背後から「ザザザッ」と音がしました・・・。

ついにクマがでたか・・・と思い、杖を握りしめ戦闘態勢に入ります。

後ろをよく見たら、登城者の方でした。

 

 

「久しぶりの人だ!!」と嬉しくなり、心の中で叫ぶうめたろう。

完全にバイオハザードの一場面です・・・。

座って休んでいたうめたろうに、お兄さんが話しかけてくれました。

 

「こんなに登るんですね」とお兄さんが言ったので、「マジやばいです」って答えました(笑)。

うめたろうとは違い、軽快なステップで本丸跡を見学して、すぐに下山されました。

 

「こんなにキツイ思いをして登ったのに、もう下山するの?」と思ううめたろう。

「キツい思いしたから、少しでも長く、ここにいてやる」

と、うめたろうはしょうもない発想をしていました・・・。

 

 

国吉城は、若狭守護大名である武田家の家臣・粟屋勝久(あわやかつひさ)により築城されました。

1563(永禄6)年から、約10年に渡り、越前国の朝倉氏の攻撃かを耐え抜いたお城です。

激しい籠城戦が行われ朝倉氏を撃退し、「難攻不落の城」と名を轟かせます。

 

 

1570(元亀元)年には、織田信長の最初の朝倉攻めが開始されました。

ここ国吉城に入った織田信長は、朝倉攻めの軍議を重ねます。

国吉城を拠点とし、敦賀にある手筒山城や金ヶ崎城を陥落させました。

 

織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、明智光秀など、豪華なメンバーが、国吉城に入城しています。

この景色も豪華なメンバーで見たのでしょうね・・・、そう思うと興奮します(笑)。

 

 

無事に下山し、歴史資料館の隣にある徳賞寺(とくしょうじ)に寄りました。

徳賞寺には展示スペースや、国吉城主の粟屋勝久のお墓もあったようです。

体力が限界突破したうめたろうは、写真だけ撮って、すぐ帰りました・・・。

 

 

たくさんの石仏を発見。

国吉城跡一帯に、散らばっていた石仏を供養したものです。

説明板によると、お城の石垣としても使用されていた石仏もあるようです。

 

体力が残り20%になったうめたろう・・・。

体力チャージをするため、昼食をとります。

 

さかな街「海坊主」の海鮮丼 日本海側最大級の海鮮市場 福井県敦賀市

 

若狭と言えば海!

海と言えば海鮮!!

ということで、海鮮丼を求め、日本海側最大級の海鮮市場「さかな街」にやってきました。

 

 

敦賀港直送の魚介が並ぶ鮮魚店など、お店が60店舗も集結しているとのことです。

さかな街は平日にもかかわらず、多くの車やバイクが停まっていました。

 

 

店がありすぎて、どこに入っていいかわからない・・・。

疲れすぎて、スマホで調べるのも面倒くさかったので、直感で選びました。

お店の名前は「海坊主」さんです。

 

 

上海鮮丼 1800円です。

ネタも新鮮で、とてもおいしかったです。

これは、もう一杯いける勢いですね・・・・。

 

なにはともあれ、これで体力が60%まで回復しました。

お腹を満たしたうめたろうは、初日最後の目的地に向かいます・・・。

 

金ヶ崎城(かねがさきじょう)跡 金ヶ崎の退(の)き口 福井県敦賀市

 

次の目的地は、金ヶ崎城(かねがさきじょう)跡と手筒山城(てづつやまじょう)跡です。

この2つのお城は遊歩道で繋がっているため、どちらからでも歩いて行くことができます。

 

今回うめたろうは、金ヶ崎城跡駐車場に車を停めました。

駐車場には、2つの城の説明版がありました。

 

 

大河ドラマ「麒麟がくる」のPR看板もありました。

明智光秀や豊臣秀吉、さらに徳川家康が後詰めをしたと言われていますね。

織田信長は、この地で絶体絶命のピンチに陥りました。

 

 

この階段をのぼると、金ヶ崎宮に到着します。

階段をのぼりながら、敦賀港を見ることができます。

 

 

金ヶ崎宮の祭神は、恒良親王(つねよししんのう)尊良親王(たかよししんのう)です。

南北朝時代、後醍醐(ごだいご)天皇の命を受け、新田義貞(にったよしさだ)は立ち上がります。

後醍醐天皇の息子・恒良親王と尊良親王を奉じ、金ヶ崎城に入りました。

 

しかし、足利勢の攻撃により金ヶ崎城は落城。

新田義貞の嫡男・義顕(よしあき)と共に、恒良親王・尊良親王はこの地で自刃したと伝わります。

 

 

金ヶ崎の戦いでは、お市の方の有名なエピソードが伝わります。

浅井長政の正室であった信長の妹・お市の方は、織田信長に危険が迫っていることを知らせます。

 

袋の両端を縛り、小豆の入った袋を織田信長に届け、袋の鼠になると示唆しました。

その逸話にあやかり、ここの絵馬は小豆袋になっています。

 

 

この石碑の横に小道があり、そこから頂上まで登ることができます。

頂上までは、約10分ほど掛かります。

また、途中には、尊良親王(たかよししんのう)のお墓もありました。

 

 

こちらは、金ヶ崎古戦場の石碑です。

1570(元亀元)年、織田信長は朝倉攻めを決行します。

まず、金ヶ崎城に隣接する手筒山城を陥落させます。

 

朝倉景恒(あさくらかげつね)が守る金ヶ崎城も落とすことに成功します。

金ヶ崎城を朝倉攻めの拠点としようとしますが、同盟国である浅井長政の裏切りにより、撤退を開始。

殿には、明智光秀や豊臣秀吉が務め、信長はわずか10人程のお供を連れ、京に帰還しました。

 

 

こちらは、月見御殿です。

この月見御殿の場所が、南北朝時代の金ヶ崎城の本丸跡と言われています。

 

 

この月見御殿から、武将たちは月見をしたと伝わります。

敦賀港が広がっています。

現在でも、ここから月が見られるのでしょうか・・・、夜に来てみたいですね。

 

手筒山城(てづつやまじょう)跡 織田軍が苦戦した山城 福井県敦賀市

 

月見御殿から、次なる目的地である手筒城跡を目指します。

はじめは、ゆるやかな遊歩道が続き、これは楽勝だなっと思ったうめたろう・・・。

しかし、途中から徐々に上り坂になり、体力が削られ始めます。

 

数分歩くと、分かれ道が出てきました。

みなさん・・・、この写真を見て、どちらに進もうと思いますか・・。

 

 

左の道は、獣道のようで道に草が茂っている。

右の道は、石段があり、結構な下り坂になっている。

「絶対に間違えられない道がある・・・・。」

 

すでに体力が残り20%になったうめたろうは、絶対に間違えられない・・・。

あの名探偵小学生のように、立ち止まって考えました・・・。

その時・・・、獣道の方からウォーキングをしている人がこちらに歩いて来ます。

 

これは最大のチャンス到来と思い、「手筒山の山頂に行きたいのですが・・・」と声を掛けました。

「どちらに行っても、辿りつけますよ」と親切に教えてくれました。

しかも、「こっちの獣道を行った方が、楽ですよ」と神の声をいただきました。

 

もうこの人は、うめたろうにとっての「お市の方」やっ!!

あの節は、本当にありがとうございました。

実は、うめたろうの少し先に、カップルが歩いていました。

 

獣道を越えて、先ほどの石段の道の方を見てみると、さっきのカップルを発見。

獣道を選んだことにより、カップルを抜かしていました。

地元の人に、マジ感謝!!

 

ちなみに・・、頂上に着いた後、カップルは全く現れなかったので、撤退したと思われます・・・。

喜んだのも束の間・・・、獣道を越えたら、地獄の石段がそびえ立っていました

 

 

玄蕃尾城(げんばおじょう)跡で、柴田勝家の攻撃でダメージをくらい・・・

国吉城(くによしじょう)跡で、粟屋勝久に瀕死にされ・・・

金ヶ崎城跡で、朝倉景恒に回復した体力をまた減らされ・・・

 

たうめたろうの体力ゲージは、残り2%になりました。

この石段を登っているとき、マジで諦めて帰ろうかなっと思った程、つらかったです(笑)。

しかも、クマとの遭遇もありえるという精神的ダメージも重なるという・・・。

 

危うく「ひとり手筒山の退き口」になるとこでした・・・。

しかし・・・、歴史ファンとして、ここで帰ることは許されない!

織田信長だって、一歩間違えればこの金ヶ崎周辺で、死んでいたのかもしれない・・・。

 

秀吉や光秀なんて、もっと死ぬ確率があったのに、殿を務めあげた・・・。

そう思いながら、最後の力を振り絞って、頂上まで登りました。

一応言っときますが・・・、1つ目の城だったら、全然いけますよ・・・(謎の強気)。

 

 

やっと頂上に着きました・・・、30分以上は掛かったと思います。

動画とか写真を取り、さらに休憩をしながらだったので、時間が掛かりました。

普通の人なら、もう少し早く登れると思いますよ。

 

 

この黄色い物体は一体・・・。

実は、これは打ち上げロケットではなく、展望台でした。

展望台の中は、らせん状の階段になっていたので登りました。

 

 

あ~、景色がキレイです・・・。

空、山、敦賀湾の景色が、疲れた体を癒してくれます。

 

 

この手筒山城は、朝倉方の寺田采女正(てらだうめのしょう)が守っていました。

手筒山城は天然の要害であったことから、織田軍も苦戦したと言います。

この戦いで、信長の家臣・森可成(もりよしなり)の嫡男である森可隆(よしたか)が戦死します。

 

戦国武将で有名な森長可(よしなり)や、森蘭丸(らんまる)の兄にあたります。

享年19歳という、早すぎる死でした。

 

先月、岐阜県にある森一族のお墓がある、可成寺(かじょうじ)に行ってきました。

そのため、手筒山城跡にはどうしても来たかったのです。

 

森一族の史跡巡りはこちら

【信長家臣】森蘭丸・森長可ゆかりの地 美濃金山城史跡巡り【岐阜県可児市】

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山頂には、休憩所やトイレもありました。

どちらも、綺麗に整備されていました。

 

 

残念ながら、城跡の石碑はありません。

金ヶ崎城にあるなら、こちらにも作ってほしかった・・・。

 

 

クマはでなかったですが、ヘビは出ました。

クマが出なくて、本当によかった・・・。

 

「金ヶ崎城の戦い」についてはこちら

【信長包囲網】織田信長ゆかりの地【戦い③】

続きを見る

 

ホテルルートイン福井駅前 GoToキャンペーンで35%OFF  福井県福井市

 

初日の史跡巡りは終了です。

夕食に福井名物でも食べようと、お店に寄ろうと思いました・・・。

しかし、疲れすぎていたので、駅前のサイゼリアで軽く済ませました(笑)

 

宿泊先は、福井駅前にあるルートイン福井駅前です。

ルートインは昔、出張先でよく使っていたことがあり、朝食がおいしいので好きです。

Gotoキャンペーンのクーポン番号を見せ、35%で泊まれました。

 

 

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この機会を逃すと、見ることができない券なので、写真をパシャリ。

 

おわりに・・・・。

こうして、福井県史跡巡りの一日目が終わりました・・・。

いきなり初日に、体力が限界突破しました。

日程的にどうしても、1日目に敦賀を終えたかったので、仕方なかったのですが・・・。

 

では、ここで有料級の情報をひとつ・・・。

「一日に山城を3つ巡ると、体がボロボロになります!」

この日、うめたろうは山城3つと平城1つの、計4城を巡りました。

 

特に国吉城・・・、あれは1.7城でカウントしても良いぐらいキツイです。

クマとの遭遇するかもという、精神的な戦いもありますから・・・。

しかし、そのキツさの先にある達成感はハンパねぇ~状態でした。

 

杖のありがたさが、身に沁みりました。

手筒山城跡は杖が無かった分、しんどかったのかも・・・。

 

大河ドラマ「麒麟がくる」でも、登場するであろう金ヶ崎城。

まだ、訪れていない方はぜひこの機会に、行ってみてはいかがでしょうか。

県外の方は、GoToトラベルを使って、お得に泊まれますよ~。

 

第三弾に続く・・・。

 

 

 

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