史跡巡り

【刀根坂の戦い・玄蕃尾城】福井県の史跡巡り①【織田信長・明智光秀ゆかりの地】

どうも、うめたろうです。

今回の史跡巡りは、越前(えちぜん)国、福井県に行ってきました。

戦国時代の越前の国主といえば、越前朝倉家、最後の当主・朝倉義景(あさくらよしかげ)が有名です。

 

織田信長と朝倉義景の戦いである、「一乗谷城(いちじょうだにじょう)の戦い」

織田信長の支配に、反旗を翻した「越前一向一揆」

今回はこれらの史跡を中心に巡ってきました。

 

また、大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀のゆかりの地にも行ってきました。

さらに今回は、話題の「GoToキャンペーン」を使用しました。

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それでは、福井県の戦国史跡をご紹介していきます。

GoTo越前!!

 

刀根坂(とねざか)の戦い【一乗谷城の戦い】激戦地 福井県敦賀市

 

最初の目的地は、滋賀県長浜市余呉町にある柳ケ瀬(やながせ)地区です。

いきなり、「福井県じゃなく滋賀県かよっ!」と思った方もいると思いますが・・・。

まぁ、落ち着いてください・・・。

 

この場所は、福井県に限りなく近い滋賀県です。

柳ケ瀬は昔、北国街道が通っており、宿場町として栄えました。

ここ柳ケ瀬で、織田信長は自ら先頭に立ち、朝倉義景を追った場所です。

 

 

織田信長は、近江(おうみ)の浅井長政(あざいながまさ)を攻めるため、近江に出陣をしました。

浅井氏の同盟国であった朝倉義景は、援軍として、近江に駆けつけます。

しかし、織田信長の猛攻により、次々と朝倉が守る砦は落とされます。

 

朝倉義景は自軍を撤退させ、自らの国、越前国に戻ろうとしました。

その行動を読んでいた織田信長は、朝倉軍の追撃を開始します。

 

 

写真の左が刀根(とね)方面、右側が中野河内(なかのかわち)方面

朝倉軍は、刀根方面と中野河内方面の、二手に分かれて逃走します。

ここで織田軍は、どちらの道から追撃をするか議論をします・・・。

 

織田信長は、瞬時に刀根方面に軍勢を進める指示を出しました。

刀根方面には、朝倉方の疋檀(ひきだ)城や敦賀の城が多くありました。

 

「味方の城を頼りにして、逃げるだろう」と予測した織田信長は、刀根方面に向かいました。

そして、織田信長の読みは見事に当たることになります・・・。

 

 

朝倉義景率いる主力軍は、疋檀(ひきだ)城を目指し、刀根坂【久々坂峠・倉坂峠】を越えようとします。

この場面は、「信長公記(しんちょうこうき)」にも登場しています。

信長率いる織田軍は、刀根坂で朝倉軍に追いつき、猛攻を仕掛けます。

 

朝倉軍は必死に防戦しますが、ついに織田軍によって壊滅。

朝倉義景は刀根坂の先にある、疋壇(ひきだ)城に逃げ込みました。

 

 

この刀根坂の戦いで、朝倉氏の多くの優秀な家臣たちが、亡くなりました。

織田軍が討ち取った首・・・、その数3000以上と言われています。

 

 

この刀根坂は、朝倉氏の滅亡を決定づけた場所となりました。

織田信長の「ここで朝倉義景を絶対に潰す」という執念が伝わってきました。

こんな細い山道に、たくさんの兵がいたと思うと驚愕です。

 

玄蕃尾城(げんばおじょう)跡 柴田勝家本陣跡 福井県敦賀市

この刀根坂のすぐ隣には、「玄蕃尾(げんばお)城跡」があります。

羽柴秀吉VS柴田勝家の「賤ヶ岳(しずがたけ)の戦い」で、柴田勝家が本陣を置いた城です。

今回のテーマには逸れますが、こんなに近くに城跡があるのに、ほっとけません。

 

 

すごい山の中にありますが、ちゃんと駐車場とトイレがあります。

トイレに行きたかったうめたろうは、恐る恐るトイレに入ります。

もし、クマが入っていたらどうしようと、一瞬だけ思いました(笑)。

 

 

木箱にパンフレットが入っていたので、一部頂きました。

この駐車場から上に登ると、先ほどの刀根坂の標識に出ます。

 

 

刀根坂の標識から少し登ると、玄蕃尾城跡に到着です。

看板に書いてある行市山砦(ぎょういちやまとりで)跡は、猛将・佐久間盛政が建てた砦があった場所です。

今回は時間の関係上、行っていません。

 

 

クマに怯えながら、山道を登ると、玄蕃尾城の説明版を発見しました。

こんな山の中に城を建てるなんて、さすが柴田勝家・・。

 

 

城跡は広大な敷地で、城の遺構がはっきりと残っていました。

ここまで、遺構が残っているのは珍しい・・・。

 

 

この旅に出る前にうめたろうは、先人たちのブログを拝見していました。

多くの人が、玄蕃尾城の城跡の感想を書いていました。

「城の遺構が、こんなに残っている場所は初めて」など、「感動した」と多くの声がありました。

 

 

うめたろうも、ここまで広範囲にはっきりと土塁の跡が残っている城跡は初めて見ました。

しかも、邪魔な木などは切ってあり、城跡の整備がしっかりとしてあります。

このようなところを見ると、市町村がどれだけ史跡を大切にしているか分かりますね。

 

歴史ファンとしては、うれしい限りです。

クマに怯えるうめたろうは、急ぎ、車に戻り、次の目的地へ向かいました。

 

疋壇城(ひきだじょう) 朝倉家臣・疋壇氏の城 福井県敦賀市

 

次の目的地である、疋壇城(ひきだじょう)跡に向かいます。

疋壇城跡がある疋田地区は、江戸時代に敦賀から京都に物資を送る為につくられた運河がありました。

北国街道の宿場町として、賑わいを見せました。

 

 

「愛発舟川の里展示室」という建物があり、当時の資料も展示されていました。

この展示室の駐車場に車を止めて、疋壇城を目指します。

しかし、ここでめちゃくちゃ、道に迷いました。

 

 

先人たちのブログで確認した場所が、全然見つからない・・・。

平日の昼間に、ウロウロしていたので、かなり怪しい人物に映ったはず(笑)。

しかし、現在にも残る水路が、町の風情を醸し出していてキレイです。

 

あ~、疋壇城跡がわからない・・・。

Googleマップで場所の位置は把握しているが、入り口がわからない・・・。

町の方を発見したうめたろうは、疋壇城跡の場所を聞きます。

年配の地元の方に、親切に教えていただきました。

 

 

やっと城跡の遺構を見つけて、たどり着きました。

たぶん、正規の入り口から入ってないです・・・。

説明板があるはずなのだが、見当たらず・・・。

 

 

疋壇城は朝倉氏の家臣・疋壇氏が7代に渡り、守ってきた城でした。

刀根坂で壊滅した朝倉軍の大将・朝倉義景は、なんとか疋壇城に逃げ込みます。

 

しかし、織田軍のさらなる追撃により、疋壇城は落城してしまいます。

その後、朝倉義景は敦賀を越え、拠点である一乗谷城に戻るのでした。

 

 

疋壇城は織田軍の攻撃により、二回も落城しています。

一回目は1570年(元亀元年)、最初の織田信長による越前攻めにより落城。

 

その後、浅井長政の裏切りにより、織田軍は撤退し、疋檀城は修復されます。

二回目は一乗谷城の戦いで、この時の織田軍の追撃により、落城しています。

 

 

疋壇城を満喫したうめたろうは、次の目的地である「刀根坂の戦いの戦没者の墓」に向かいます。

事前の下調べでは、疋壇城跡近くにあり、歩いていけるとのことでした。

しかし・・・、またもや場所がわからない!!

 

場所は、Googleマップで確認済みだが、またしても、入り口がわからない・・・。

そして、ウロウロしていたら、先ほどの地元の方に会いました。

 

また場所を伺いましたが、地元の方も知りませんでした。

その後も、戦没者の墓を探しましたが、タイムオーバーで諦めました。

 

 

お墓は残念でしたが、地元の方とお話をさせてもらい、楽しい時間を過ごせました。

話をした地元の方は、疋壇城跡に隣接している畑を管理している方でした。

 

「畑の管理は大変だけど、歴史好きな人が訪れるので、キレイにしなきゃね」と仰っていました。

 

地元の方の努力があるからこそ、私たち歴史ファンは史跡を見ることができるんだなと・・・。

本当に、地元の方には、感謝しかありません。

ありがとうございます・・・。

 

誰もが知っている有名な場所なら、自治体が観光のため、力を入れて整備すると思います。

しかし、あまりメジャーではない史跡は、なかなか管理が大変ですね・・・。

そんなことを思いながら、次の目的地に向かいました。

 

続く・・・。

「一乗谷城の戦い」についてはこちら

【天下布武の道】織田信長ゆかりの地【戦い④】

続きを見る

 

おわりに・・・

刀根坂の戦いの激戦地や玄蕃尾城には、平日の朝だったため、人は誰もいませんでした。

本当にクマがでそうな場所で、みなさんも行くときは十分に注意をしてください。

柳ケ瀬から玄蕃尾山城跡には、歩いて登ることができます。

 

しかし、車で国道を回れば、近くの駐車場に行くことができます。

後から確認したのですが・・・。

疋檀城跡は、新疋田駅方面から入れば、説明版がある入口にはいることができるようです。

 

「刀根坂の戦いの戦没者の墓」は、愛発の歴史散歩の看板から、歩いてすぐでした。

国道沿いに少し歩けば、あったようです。

日程の時間が押していたので焦って、気づきませんでした(笑)。

 

疋田の町は水路があり、とてもきれいで、歩くだけでも癒されます。

時間がある方はゆっくり、散歩でもいかがでしょうか。

疋田のあとは、ついに難攻不落の城跡が登場です。

 

福井県の史跡巡り、第二弾をお待ちください・・・。

 

 

 

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