史跡巡り

【劔神社・龍門寺城跡】福井県の史跡巡り③【織田信長・明智光秀ゆかりの地】

どうも、うめたろうです。

今回は、福井県の史跡巡りの第三弾です。

二日目のスタートです。

 

初日に山城を3つも登たため、この日は朝から前身筋肉痛のうめたろう。

さらに天気も悪く、この日は雨の中からのスタートでした。

 

ルートインで朝食を済ませたうめたろうは、最初の目的地に向かいます。

ルートインの朝食がおいしいので、たくさん食べてしまいました・・・。

 

越前國二之宮 劔神社(つるぎじんじゃ) 織田一族発祥の地 丹生郡越前町

 

最初の目的地は、「越前國二之宮 劔神社(つるぎじんじゃ)」です。

福井駅から車で、約40分ほどで到着。

この劔神社は、織田信長の一族である織田氏発祥の地です。

 

織田氏の出自は、劔神社の神官と伝わります。

室町時代、越前国の守護職は、斯波(しば)氏が務めていました。

越前の国人である織田氏も、その時に仕官したと考えられています。

 

斯波氏が尾張守護に就くと、織田氏は尾張の守護代に任命されました。

その後、織田氏は分裂し、国内で勢力争いを行うことになります。

 

 

戦国第一の武将・・・。

やはり、ここでは当然ながら、織田信長を推しています。

 

 

境内に入ると、正面に「織田一族発祥地」の石碑があります。

どことなく、重圧感が伝わってきます。

 

 

石碑のすぐ隣にあったパネル。

これは・・・、信長で合ってますかね・・・?

信長の目が、完全に眼鏡を取ったのび太です。

 

乱世のアイドル・・・、森蘭丸。

神社とパネルの世界観が違いすぎて、このパネルが少し浮いてました(笑)。

 

 

こちらは、旧神前院護摩堂(きゅうしんぜんいんごまどう)です。

旧劔大明神織田寺の別当寺院の護摩堂として、1675(延宝3)年に建立されたものです。

この堂内で、護摩祈祷が行われていました。

 

明治の神仏分離令により建物だけが残り、その後、小学校の校舎などに使用されました。

現在は、神輿(みこし)殿として使用されています。

 

 

豪華な神輿が、二台置いてありました。

うめたろうが訪れた次の日に「劔神社秋季例祭」という祭りが開催されたようです。

祭りに使用するために、ここに出ていたと思われます。

 

 

 

劔神社の拝殿です。

この拝殿は、1847(弘化4)年の江戸時代に建立されたものです。

 

 

こちらは、織田(おた)神社です。

江戸時代初期の建物になります。

織田と言う字の読み方が、ここでは「おた」のようです。

 

 

こちらは、小松建勲(こまつたていさお)神社です。

小松建勲神社の祭神は、平重盛(たいらのしげもり)と織田信長です。

平重盛は、平清盛(たいらのきよもり)の嫡男として有名ですね。

 

平重盛は、焼失した劔神社の社殿の復興を行い、領地を寄進し、深く信仰したと伝わります。

織田信長は、劔神社の神官の子孫であることを自覚し、劔神社を手厚く保護しました。

 

 

境内には、「おもかる石」がありました。

京都の清水寺にも、ありましたよね。

最近の流行りなのでしょうか、色々な神社で見かけます。

 

 

願い事が叶う時は軽く、難しいときは重くなるようです。

とりあえず、うめたろうも挑戦しました。

「普通に重い・・・無念。」

 

 

劔神社を出たうめたろうは、信長像を見るために歩き出します。

劔神社から徒歩で5分ほど歩くと、観光物産館前に着きます。

織田信長の銅像は、観光物産館の目の前にありました。

 

 

織田信長・・・、でかい・・・。

今まで見た織田信長の銅像の中で、一番で大きいような気がします。

威厳というか、重圧感が伝わってきます。

 

 

「私が織田信長だ!」と、聞こえてきそうです。

織田信長の銅像と言えば、岐阜駅の「金の信長像」が有名です。

 

個人的には、清州城の甲冑を身にまとった織田信長が推しです。

この織田信長像も、上から見下している感が、信長っぽくていいですね~。

 

富田長繁(とだながしげ)の供養碑 歯塚(はづか)大権現 鯖江市長泉寺町

 

劔神社を出たうめたろうは、鯖江市に向かいます。

次の目的地は、富田長繁(とだながしげ)の供養碑です。

 

劔神社から車で、約30分ほどで到着しました。

結構、細い道沿いにあり、見落としそうな場所にあります。

この場所は、歯塚大権現とも言われています。

 

 

富田長繁は、織田信長より府中城主を任命されます。

しかし、越前の守護代・桂田長俊(前波吉継)に不満を持ち、一揆を扇動し、桂田長俊を討ち取ります。

富田長繁の指揮に徐々に不満を持った一揆勢は、富田長繁と手を切りました。

 

一揆勢は、一向宗の七里頼周(ひちりよりちか)を担ぎ上げ、土一揆は一向一揆と進展します。

富田長繁は本願寺と敵対していた門徒を集め、一向宗と戦いました。

 

しかし、合戦中に味方に裏切られ、鉄砲で撃ち抜かれ、戦死します。

その攻撃的な姿勢から、「越前の狂犬」と呼ばれました。

 

 

越前一向一揆の最初のきっかけを作った人物・・・、富田長繁。

彼の行動により、織田軍全体が動く歴史的事件に発展しました。

現在は小さなお堂に、ひっそりと眠っています。

 

越前一向一揆の詳細はこちら

【長篠で武田と激突】織田信長ゆかりの地【戦い⑤】

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越前府中城旧表門【正覚寺(しょうかくじ)】 越前市

 

次の目的地は、越前府中城(えちぜんふちゅうじょう)跡の石碑でした。

越前府中城があった場所は、現在、越前市役所になっています。

 

越前市役所に到着しましたうめたろうですが、なんと・・・、工事中でした。

現在、市役所の本庁舎を新しく作っており、石碑は市内の施設に保管してあるとのことでした。

 

 

石碑は見れなかったので、次に越前府中城の表門を見に向かいます。

府中城の表門は、現在、正覚寺(しょうかくじ)の山門として移築されています。

江戸時代に建てられた表門で、数少ない越前府中城の遺構です。

 

龍門寺城跡(りゅうもんじじょうあと) 越前市

 

次の目的地は、龍門寺城跡にある龍門寺(りゅうもんじ)です。

1573(天正元)年、織田信長と朝倉義景の間で、「一乗谷の戦い」が起きます。

織田信長は、朝倉義景を攻める際、龍門寺に城を築かせます。

龍門寺城に入った織田信長は、この地を本陣としました。

 

 

1575(天正3)年、織田信長は越前一向一揆の討伐を開始します。

龍門寺城を占拠した一向衆徒を、羽柴秀吉や明智光秀らが攻め込み、龍門寺城に入城をしています。

その後、織田信長は、府中三人衆の一人、不破光治(ふわみつはる)に龍門寺城を与えました。

 

 

また、賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いの後、前田利家は羽柴秀吉を、龍門寺城に迎え入れています。

その後、前田利家は豊臣政権を支える大名となりました。

このように、龍門寺は、数々の歴史の舞台となっています。

 

境内の中も雰囲気が良く、歴史的な舞台に来れて、大満足のうめたろうでした。

 

真柄直隆(まがらなおたか)生誕地 越前市

 

みなさん、真柄直隆(まがらなおたか)を、ご存じでしょうか。

戦国時代の豪傑と言えば、本田忠勝や前田慶次などが、真っ先に頭に浮かびます。

しかし、北陸で豪傑と言えば、真柄直隆一択でしょう。

 

 

真柄直隆は、朝倉氏の客将として、朝倉氏に属していました。

身長はなんと、約2メートルあり、体重は200キロあったと言われる大男です。

まさに昭和のプロレスラー、アンドレ・ザ・ジャイアントそのものです・・・。

 

真柄直隆は、その大きな体に適した刀を持っていました。

その刀は「太郎太刀(たろうたち)」と呼ばれ、刃渡りなんと、221、5メートルです。

 

 

その刀を「姉川の戦い」で、振り回して戦ってたと言います。

この太郎太刀は、現在、名古屋市にある熱田神宮に奉納されています。

 

また、弟(息子とも)が所要していた刀もあります。

「次郎太刀(じろうたち」と呼ばれ、刃渡りが166.6メートルあります。

こちらの刀も、熱田神宮に奉納されています。

 

真柄直隆の生誕の石碑も、伝説通り、ダイナミックな大きさです。

生誕地の敷地には、車を一台停めることができるスペースがありました。

 

真柄直隆の墓【興徳寺(こうとくじ)】 越前市

 

真柄直隆の生誕地から、車で約5分ほどのところに、興徳寺(こうとくじ)はあります。

この興徳寺には、真柄直隆のお墓があります。

大きな運動公園が隣にあり、そこの駐車場に車を停めさせてもらいました。

 

 

真柄直隆の武勇は、「姉川の戦い」において、語り継がれています。

真柄直隆は姉川の戦いで、徳川軍を相手に奮闘をします。

 

真柄直隆の周辺は、敵の死体が散らばり、まるで田んぼを耕したようだと伝わっています。

最後は、徳川軍の武将である匂坂(さぎさか)三兄弟によって、討ち取られました。

 

 

お墓の前に、下駄が飾られています。

この下駄は、原寸大でしょうか・・・。

恐るべし、真柄直隆。

 

 

真柄直隆の絵馬もありました。

その武勇から勝負事に、ご利益がありそうですね。

 

「姉川の戦い」については、こちら

【信長包囲網】織田信長ゆかりの地【戦い③】

続きを見る

 

そば蔵 谷川(たにかわ) 越前市

 

真柄直隆の豪勇ぶりを、肌で感じたうめたろうは、お腹が減ってきました。

越前と言えば、越前そばを食べなきゃ始まりません。

越前市内にある「そば蔵 谷川」さんを訪れました。

 

 

お店の外観は、敷地内に庭があり、古民家のような作りになっています。

有名店と聞いたので、並ぶ覚悟でしたが、この日はすんなりと入れました。

そば好きで有名な、ミュージシャンの「DEEN」の池森さんもおすすめしていました。

 

 

一般的なそばのような長さではなく、粗く挽いてあり、太くて短めのそばでした。

弾力があり、大根おろしの辛味とマッチして、とてもおいしかったです。

そばの量は、大盛りでちょうどよかったです。

 

おわりに・・・

織田氏ゆかりの劔神社は、境内を歩いていると、なにか神聖な雰囲気を感じました。

市内からは、少し離れた場所にありますが、車で観光をする方にはおすすめです。

越前府中城跡は、残念ながら工事中で、石碑を見ることはできませんでした。

 

市役所の受付の方に伺ったら、わざわざ課長さんを呼んでくれて、説明をしてくれました。

真柄直隆の墓にある大きな下駄はインパクトがありました。

モニュメントを見ると、地元の方の遊び心が感じられ、歴史ファンとしてはうれしいですね。

 

次回は、ついに大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀ゆかりの地が登場です。

 

第四弾に続く・・・。

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