史跡巡り

【平泉寺・称念寺】福井県の史跡巡り⑤【明智光秀・朝倉義景ゆかりの地】

どうも、うめたろうです。

今回は、福井県史跡巡りの3日目です。

福井県の史跡巡りも、ついに最終日を迎えました。

 

天気は2日目の雨が止み、なんとか曇りになりました。

3日目、最初の目的地は「義景公園(よしかげこうえん)」です。

福井駅から車で、約40分ほどで到着しました。

 

義景公園(よしかげこうえん) 朝倉義景の墓 福井県大野市

 

義景公園には、広い駐車場があり、そちらに車を停めました。

義景公園は名前の通り、朝倉義景のお墓がある公園です。

一乗谷の戦いで織田信長によって、窮地に追い込まれた朝倉義景。

 

朝倉義景は、朝倉一門の朝倉景鏡(かげあきら)の勧めで、東雲寺に移動します。

大野郡の平泉寺に援軍を要請する朝倉義景でしたが、平泉寺はすでに織田軍の調略済みでした。

朝倉義景は東雲寺から、六坊賢松寺(ろくぼうけんしょうじ)に逃れます。

 

 

しかし、六坊賢松寺にいる朝倉義景は、敵の軍勢によって囲まれました。

その軍勢とは、なんと味方であるはずの朝倉景鏡の軍勢でした。

 

朝倉景鏡は織田信長と通じ、朝倉義景を裏切ったのです。

身内に裏切られた朝倉義景は、覚悟を決め、六坊賢松寺で自害をしました・・・。

 

 

近臣の鳥居景近・高橋景業は、朝倉義景の介錯をします。

その後、二人も主君を追うように、自害を果たしました。

両家臣のお墓は、朝倉義景の隣にありました。

 

 

また、義景の母・高徳院、嫡男の愛王丸と愛王丸の生母・祥順院(側室の小少将)のお墓もあります。

三人は織田軍に捕縛され、岐阜に護送中、信長の密命を受けた丹羽長秀によって殺害されました。

朝倉義景は自分の家族と、最後まで付き添った家臣たちと一緒に、この地に眠っています。

 

 

福井県大野市は、名水の町としても有名です。

公園内には、義景清水(よしかげしょうず)と呼ばれる「ふくいのおいしい水」に認定された湧き水があります。

 

うめたろうが訪れた時は、公園の掃除をしている地元の方がいました。

このように地元の方によって、キレイに維持されているんですね。

義景公園はとても閑静な場所にあり、朝倉義景は静かに眠れていることでしょう。

 

曹源寺(そうげんじ) 朝倉義景最期の地 福井県大野市

 

義景公園から歩いて3分ほどの場所に、曹源寺(そうげんじ)はあります。

朝倉義景が自害した六坊賢松寺は、その後、廃寺になりました。

現在建っている曹源寺の場所に、六坊賢松寺があったと言われています。

 

 

境内に、一本の大きな大木がありました。

この大木は、朝倉義景の最期を見守ったのでしょうか・・・。

朝倉義景は、どこで滅亡の道を辿ってしまったのか。

 

 

もし、足利義昭を伴い上洛を果たしていたら、歴史は変わっていたのかもしれません。

朝倉義景の死によって、11代続いた名門朝倉家は、戦国の世から姿を消しました。

 

白山平泉寺(はくさんへいせんじ) 中世の一大宗教都市 福井県勝山市

 

義景公園から車で約20分ほどで、白山平泉寺(へいせんじ)に到着しました。

白山平泉寺は、比叡山延暦寺の末寺でした。

最盛期には9万石を所領し、僧兵8000人を抱える巨大な宗教都市として存在しました。

 

しかし、越前一向一揆の際、一揆勢の乱入により、平泉寺は火の海になり、その全土が焼失します。

平泉寺と共に一向衆と戦った朝倉景鏡も、この戦いで討ち死にしました。

 

 

駐車場に着いて全体マップの看板を見ていると、掃除をしているおば様が声をかけてくれました。

土日はこちらでボランティアのガイドをしている方で、平泉寺について詳しく教えて頂きました。

たぶん、30分ぐらいしゃべっていました(笑)。

 

 

こちらの「まほろば」という施設で、平泉寺の歴史が紹介されています。

平泉寺は、日本遺産に認定されました。

施設の方と話をしていると、なんと前日にクマが出没したという情報を聞きました。

 

 

クマの出没にあたり、南谷発掘地エリアは立ち入り禁止になっていました。

ショック・・・、一番見たかったのに・・・。

ボランティアの方の一番のおすすめが、この南谷エリアにある大杉でした。

 

大杉は平泉寺焼失時に、焼けずに残っているとのことでした。

また、中世の石畳がそのまま残っている場所だったので、かなり残念です。

 

 

施設でクマ除けの鈴をお借りして、平泉寺のメインである苔が広がる本社に向かいます。

参道の雰囲気が、めちゃくちゃいいですね。

この二の鳥居は、中央に屋根がついており、神仏習合の時代のものらしいです。

 

 

見てください、この綺麗な苔を・・・。

一面が緑に覆われて、趣を感じます。

歴史作家・司馬遼太郎は、「街道をゆく」シリーズで、平泉寺を訪れています。

 

平泉寺の境内に広がる苔を見て、平泉寺の苔に比べると京都の苔寺などは、「笑止なほど」と語っています。

さらに、社寺の観光化と金儲けが常識になっている時代に、無料であることに驚いています。

うめたろうも実際に訪れて、これはお金をとってもいいレベルだと思いました。

 

 

こちらは、江戸時代に建てられた本社です。

江戸時代になると、平泉寺は上野の寛永寺の末寺になります。

福井藩主の松平氏の保護を受け、社殿などを再建しました。

 

 

こちらは、本社から少し登った所にある三之宮です。

安産の守護神として、信仰があるとのことです。

 

 

この三之宮の隣には、楠木正成(くすのきまさしげ)の墓塔がありました。

楠木正成の甥の恵秀律師(えしゅうりつし)は、平泉寺衆徒の一人だった関係でここに墓塔があるようです。

 

うめたろうが見たかったのが、平泉寺にある朝倉景鏡の墓

まほろばの施設の方に場所を聞いたら、朝倉景鏡のお墓は、私有地にあることでした。

近年、住民の方から観光マップには載せないでほしいとの意向で、マップには載っていませんでした。

 

 

こちらは、朝倉景鏡の居館跡と言われる城山です。

朝倉景鏡は一向一揆勢に追われ、この平泉寺に逃れ、この地に留まったと言われています。

 

 

こちらは、辻観音堂です。

この辻観音堂に、源義経が隠れたと伝わります。

源義経と弁慶は、兄・源頼朝に追われ、奥州の平泉へ落ち延びます。

 

 

その途中に、平泉寺に立ち寄ったと言われています。

「義経記」には、弁慶と平泉寺の長吏とのやり取りが記されています。

全国で史跡巡りをしていると、源義経の足跡をよく見かけます。

 

でも、一番よく見かけるのは間違いなく、松尾芭蕉ですけどね・・・。

「また、ここにも芭蕉来てるじゃん!」って、いつも思います(笑)。

自然と「奥の細道」の足跡を追っています・・・。

 

谷口屋(たにぐちや) 大きな油揚げ 福井県坂井市

 

平泉寺の壮大な歴史を堪能したうめたろうは、昼食をとることに。

福井県の名物といえば、越前そばとソースカツ丼・・・。

その次に有名な食べ物といえば・・・、「油揚げ」です。

 

福井県北部は、信仰が盛んな地域であり、油揚げは精進料理に欠かせないものでした。

お店は、創業大正14年の油揚げの専門店「谷口屋」です。

豆腐は、国産大豆、竹田の清らかな水、越前の海で採取した天然にがりを使用して、こだわっています。

 

 

テーブルに着くと、おすすめの食べ方の説明書もありました。

まずはそのまま食べて、次に塩をつける・・・、そして、あげステーキのたれかポン酢をかける。

 

 

うめたろうが選んだのは、「越前おろしそば御前」1750円です。

油揚げが・・・、でかい!!

 

外側はカリっとしていて、中はふんわりしており、とてもおいしい!

薬味の大根おろしとネギが、さっぱりしており、油揚げにまたあいます。

みなさんも、ぜひ一度、食べてみてください。

 

称念寺(しょうねんじ) 明智光秀移住地 福井県坂井市

 

油揚げをたらふく食べたうめたろうは、次の目的地の称念寺(しょうねんじ)に到着。

こちらも、広い駐車場が完備してあります。

 

斎藤義龍により美濃から追われた明智光秀。

美濃から越前に入り、ここ称念寺周辺に約10年間住んだと伝わります。

 

 

明智光秀は、称念寺の門前で寺子屋を開いて、子供たちに学問を教えます。

さらに、称念寺に往来する僧侶らと交流を持ち、各地の情報や知識を得ていました。

妻・煕子が自らの髪を売ってお金を工面した、「黒髪伝説」もこの地が舞台とされています。

 

 

境内には、なんとお土産屋さんがありました。

このお土産屋は、土日祝に営業をしているようです。

「麒麟がくる」の影響で、観光地として盛り上がっているのが伺えます。

 

 

こちらでは、明智光秀と煕子と一緒に写真も撮れますよ。

お城とかで、よく見かけるやつですね~。

 

 

江戸時代には、松尾芭蕉も旅の途中で称念寺を訪れ、俳句を詠んでいます。

黒髪伝説の夫婦の絆の句を、弟子に詠んでいます。

 

 

また、この称念寺は、新田義貞のお墓もあります。

新田義貞は、称念寺に手厚く葬られたことが「太平記」にも記録されています。

 

豊原寺(とよはらじ) 越前一向一揆衆の本陣 福井県坂井市

 

称念寺から車で約15分ほどで、豊原寺(とよはらじ)に着きます。

豊原寺は、平泉寺と共に越前で権勢を誇ったお寺でした。

しかし、平泉寺同様、一向一揆衆の大軍に攻められ、降伏をします。

 

一向一揆の大将である下間 頼照(しもつまらいしょう)の本陣となりました。

その後、織田信長の制圧により、一向一揆衆に味方をしたことで、すべてを焼き払われ、姿を消しました。

 

 

とりあえず、豊原三千坊資料館の駐車場に停めて、地図を確認しました。(資料館は休館中でした)

なぜか、林道を車で行けると思い、車で突入したうめたろう。

しかし、道は舗装されていない砂利道が続き、車一台の細さになっていきます・・・。

 

横を見ると隣はすぐダムで、前を見ると森林が生い茂り、やけに暗い。

これは「確実にクマが出るやつ」と思ったうめたろうは、撤退を決意しました。

ぎりぎり、車を切り返せる場所があって助かった・・・。

 

昼の3時であんなに暗くなるなんて・・・、危険度マックスな香りがしました。

訪れる方は、明るい午前中にしましょう。

 

丸岡城(まるおかじょう) 現存最古の天守から陥落 福井県坂井市

 

豊原寺で恐怖を感じたうめたろうは、丸岡城に到着し、安堵します。

福井県史跡巡りの旅・・・、最後の目的地は、丸岡城(まるおかじょう)です。

丸岡城と言えば、これまでは日本最古の現存天守とされていました。

 

しかし、平成27年~平成30年の調査研究の結果、1624~1644年の江戸時代の築城と判明しました。

現存する日本最古の天守の座から、陥落してしまったのです。

現在、日本最古の天守は、長野県にある松本城と言われています。

 

 

しかし、長野の松本城は、科学調査が行われていません。

したがって、松本城は「推定」で、たぶん1位という位置づけになります。

とは言え丸岡城は、江戸初期に造られた貴重な歴史的建造物であることには間違いありません。

 

丸岡城は、柴田勝家の甥である柴田勝豊(かつとよ)によって築城されました。

その後、本多氏や有馬氏の居城となり、明治維新を迎えました。

スケールは決して大きくないですが、外観は美しく、とても趣があります。

 

 

とにかく階段がすごい・・・。

急すぎて、ロープを使用しないと昇れません。

うめたろうは、犬山城や松本城にも行きましたが、ここまで急な階段ではなかったような・・・。

 

 

こちらは、天守の瓦です。

天守にかかる重さは、なんと100トン以上とのことです。

 

 

また、お城の隣には、歴史民俗資料館がありました。

館内では、丸岡市の歴史を学ぶことができます。

 

おわりに・・・

全五回に渡り、福井県史跡巡りの旅を紹介しました。

初日は山城が続き一番大変でしたが、どの城跡も雰囲気があり、訪れてよかったです。

初日の攻防により、二日目からはずっと筋肉痛でした・・・。

 

二日目の劔神社や明智神社、一乗谷遺跡も見応えがあり、大満足でした。

三日目の明智光秀ゆかりの称念寺も、ここに明智光秀がいたと思うと感慨深かったです。

 

現在、福井県は大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀のゆかりの地として、PRに力を入れていました。

やはり盛り上がっている期間に訪れると、人は多いですが、より一層、歴史を楽しめますね。

今回の旅で個人的には、平泉寺が一番感動しました。

 

福井県の観光地と言えば、永平寺が有名です。

しかし、歴史ファンには、歴史上の人物と関係が深かった平泉寺のほうが、断然おススメですね。

 

うめたろうの明智光秀の足跡を追う史跡巡りは、岐阜県と福井県が終了しました。

次の目的地は、明智光秀の領地・坂本がある滋賀県です。

実は滋賀県には、今週に訪問済みです。

 

さらに、来月、再来月には、兵庫県・京都府に行く予定も計画しています。

また、順序を追って、ブログや動画を作成していきます。

それでは、また次の滋賀県史跡巡りの旅でお会いしましょう。

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