史跡巡り

【金山城】京都府・兵庫県史跡巡り⑤【明智光秀ゆかりの地】

どうも、うめたろうです。

三日目は、丹波の城跡を巡りました。

今回は、明智光秀が築いた金山城跡に登ります。

 

金山城(きんざんじょう) 明智光秀の居城 兵庫県丹波篠山市

 

前回のブログで訪れた、波多野秀治のお墓から車で15分。

金山城跡の駐車場に、到着しました。

 

こちらの駐車場は、特に看板などはありません。

事前に調べたところ、この空き地に停めていいようです。

 

 

駐車場から歩いて、すぐのところに登城口があります。

こちらは、旗が立っているので、わかりやすいです。

 

 

こちらは、入り口付近にある説明版です。

金山城について書かれています。

 

 

ポイ捨て禁止の看板・・・。

関西ではお馴染みの、吉本新喜劇の森田まりこさん。

どうやら、丹波篠山ふるさと大使のようです。

 

 

それでは、登城を開始します。

相変わらず、人っ子一人いません・・・。

 

 

少し登ると、立派な木がありました。

周辺には、竹が生えています。

 

 

お堂を発見しました。

説明板がないので、由緒はわかりません。

すぐそばには、お地蔵さんと鐘もありました。

 

 

「稲荷大神社址」の石碑を発見。

かつて、稲荷神社がここにあったのでしょうか。

 

 

結構な、傾斜が出てきました。

地面が土ではなく、石になっているため、滑りやすいです。

 

 

古びた鳥居が出てきました。

かなり、年季が入った鳥居です・・・。

 

 

金山城跡まで、1000メートル・・・。

「頭上に注意」の看板があります。

ふと、上を見てみると・・・。

 

 

なんと・・・、鳥居の真ん中が割れています。

これが頭に落ちてきたら、確かにやばい・・・。

 

 

獣除けのゲートを抜けると、平坦な道が続きます。

落ち葉がいっぱいあります。

 

 

再び、傾斜が出てきました。

落ち葉や石があるため、とにかく滑りやすいです。

登山用の杖を持ってきて、大正解でした。

 

 

石碑が倒れていました。

文字が書いてあるが、読み取れない・・・。

 

 

残り、700メートルです。

まだまだ、ありますね・・・。

 

 

石がでこぼこしています。

上りより下りが大変そう・・・。

 

 

左に行くと、大乗寺があります。

鬼の架け橋を目指すので、右に進みます。

 

 

「大山荘を望む」と、看板にあります。

大山荘とは、大山地区にあった荘園のようです。

 

 

あと、500メートルです。

この段差はきつい・・・。

 

 

左には滝跡があるようです。

鬼の架け橋を目指します。

 

 

何やら、陶器のようなものを発見。

いつの陶器でしょうか・・・。

 

 

こちらは、園林寺(おんりんじ)跡です。

園林寺は、江戸末期から始まりました。

明治から大正時代には尼寺となり、栄えたようです。

 

 

昭和の初め頃までは、毎年盆踊りが開催されていました。

ここまで登ってから、踊っていたんですね・・・。

 

 

仮説トイレがポツンとありました。

このトイレには入る勇気はない・・・。

 

 

こちらは金山城馬場跡です。

馬を鍛えるための訓練所だったそうです。

この崖を馬が登っていたのかな・・・。

 

 

これでもかっ!と言うほど、たくさんの看板があります(笑)。

金山城跡は真ん中で、鬼の架け橋は左です。

事前の情報で左の方がいいと見たので、左に進みます。

 

 

道のど真ん中に、巨大な石がありました。

どこから、落ちてきたのか・・・。

 

 

鬼さんのメッセージがありました。

どうやら、2億年前にこの石を置いたようです。

 

 

鬼の架け橋に到着しました。

この鬼の架け橋は、大江山の鬼が架けたという民話があります。

京に出没した鬼が、子供や金銀財宝をさらい、この橋を渡って帰ったと言います。

 

 

鬼の架け橋は、古くから有名な場所でした。

江戸時代の浮世絵師・歌川広重が描いた、「六十余州名所図会」にも登場します。

実際は、540年前の大地震の時に、石が崩れて出来たと言われています。

 

 

周辺には、多くの巨石が群がっています。

すぐ近くは、崖になっているので、なかなか怖いです。

 

 

「幸せの通り抜け」とあります。

通り抜けに成功したら、幸せになれるようです。

 

 

通り抜けることはできるのですが・・・。

その先の足場の面積がかなり小さいので、結構危ないです。

 

 

鬼の架け橋の横を登ると金山城跡です。

雪が少し残っていました。

 

 

ついに、金山城の本丸に到着しました。

明智光秀は、第一次丹波攻略で波多野秀治の裏切りにより、撤退を余儀なくされました。

 

1577年(天正5)年、明智光秀は、再び丹波攻略を開始します。

波多野氏の八上城と赤井氏の黒井城の連携を断つため、中継地点にある大山城を落城させます。

明智光秀は、大山城跡に金山城を築城しました。

 

 

明智光秀は、八上城を包囲し、落城させます。

その後、孤立した黒井城も落城させました。

こうして、明智光秀は丹波平定に成功しました。

 

 

ここから、黒井城を眺めることができます。

分かりずらいですが、てっぺんが茶色になっている山が黒井城です。

明智光秀は、ここから黒井城の動きをチェックしていたんですね。

 

 

こちらは、八上城方面の景色です。

枝で隠れた辺りが、どうやら八上城のようです。

金山城にいた明智光秀には、八上城は丸見えだったのですね・・・。

 

 

一面山だらけの景色です。

丹波の国は、本当に山だらけですね。

景色を十分に満喫したうめたろうは、下山しました。

 

ふくちあんラーメン 兵庫県丹波市

 

次の目的のまでに、昼食をとることにしました。

こちらは、「柏原町ふくちあん」です。

本店は、福知山駅の近くにあるようです。

 

 

本店は行列ができるほど、人気店のようです。

チャーシューがトロトロで、とてもおいしかったです。

唐揚げも名物らしく、おいしくいただきました。

 

おわりに・・・

二つ目の丹波の城は、金山城に登りました。

前回の八上城、次回の黒井城に比べると、金山城が一番登りにくかったです。

 

傾斜の部分が石になっている所が多いので、かなり滑ります。

上りより、下りの方が滑るので、ひどい傾斜は手をつきながら降りました。

 

しかし、金山城の景色には、圧巻でした。

八上城と黒井城を見渡すことができ、明智光秀が選んだ重要な場所だったことがわかります。

鬼の架け橋も迫力があり、今回の登城は大満足でした。

 

昼食を食べたうめたろうは、今回最後の城、黒井城跡に向かいます。

其の六に続く・・・。

 

明智光秀の丹波攻略はこちら

【続・信長包囲網】織田信長ゆかりの地【戦い⑥】

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