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大河ドラマ「麒麟がくる」第15話「道三、わが父に非(あら)ず」感想

どうも、うめたろうです。

「麒麟がくる」第15話が放送されました。

15話のタイトルは「道三、わが父に非(あら)ず」です。

 

今回は、尾張の情勢と美濃の情勢が大きく変わりました。

隣国に進出す前には、まずは、国内の基盤を固めなければなりません。

そんな尾張と美濃の両国は、国内統一まで、あと一歩のところまで迫ります。

 

主要キャスト

明智光秀(あけちみつひで):長谷川博己

明智光安(あけちみつやす):西村まさ彦

煕子(ひろこ):木村文乃

斎藤道三(利政)(さいとうどうさん):本木雅弘

斎藤義龍(高政)(さいとうよしたつ):伊藤英明

斎藤孫四郎(さいとうまごしろう):長谷川 純

斎藤喜平次(さいとうきへいじ):犬飼直紀

稲葉良通(一徹)(いなばよしみち):村田雄浩

日根野弘就(ひねの ひろなり):山本浩貴

織田信長(おだのぶなが):染谷将太

織田信光(おだのぶみつ):木下ほうか

織田彦五郎信友(おだひこごろうのぶとも):梅垣 義明

斯波義統(しばよしむね):有馬自由

斯波義銀(しばよしかね):松田周

藤吉郎(とうきちろう):佐々木蔵之介

太原雪斎(たいげんせっさい):伊吹五郎

駒(こま):門脇麦

望月東庵(もちづきとうあん):堺正章

菊丸(きくまる):岡村隆史

 

15話の感想まとめ

1554年、斎藤道三は、ついに息子である斎藤義龍に家督を譲ります。

仏門に入り、坊主となった斎藤道三は、隠居することを決めます。

それから二か月後、明智光秀の館に、客人が来ました。

 

その客人とは、斎藤道三の次男・斎藤孫四郎でした。

斎藤孫四郎は、兄・義龍が家督を譲り受けたことに、不満を持っていました。

義龍を家督から降ろそうとする計画を、斎藤孫四郎は考えています。

 

兄である斎藤義龍が家を継げば、尾張の織田信長と敵対することを、不安に思っています。

斎藤孫四郎は、帰蝶からも「進むべき道を間違えるな」と言われています。

そのため、明智一族に力を貸してほしいと頼みに来たのです。

 

しかし、明智光秀は断ります。

家督を継いでから月日が浅いので、もう少し様子をみるべきと考えています。

斎藤義龍は、稲葉山城に明智光秀を呼び出しました。

 

明智光秀が、孫四郎と会っていたのを知っていた斎藤義龍。

「孫四郎には近づくな」と明智光秀に忠告します。

明智光秀は、斎藤道三に孫四郎の件のことを相談しに行きました。

 

相談ついでに明智光秀は、道筋を決めずに、身を引いた斎藤道三に文句をいいます・・。

斎藤道三は、「今まで、道筋などを考えずにやってきた」と述べます。

明智光秀が、なぜ家督を譲ろうと思ったのか、斎藤道三に聞きました。

 

すると斎藤道三は、「そのような大事な話、タダでは話せぬわ」と言い放ちます。

さすが、ケチがブレない斎藤道三・・・。

明智光秀の何とも言えない表情が笑えました(笑)。

 

尾張国では、国内情勢が動いていました。

当時、尾張国の守護は、斯波義統(しば よしむね)でした。

その斯波義統が、襲われる事件が起きました。

織田彦五郎信友は、重臣・坂井大膳(さかいだいぜん)に、斯波義統を襲撃させ、自害させます。

 

この事件は、斯波義統の息子・斯波義銀(しばよしかね)が、家臣と川狩りにいっている時の犯行でした。

父を殺された斯波義銀は、清州城には戻らず、那古野城の織田信長の下へ、助けを求めます。

織田信長は、守護である斯波氏を守るという、大義名分を得ることになります。

 

織田信長は、清州の織田彦五郎信友を倒す決意をします。

数日後・・・。

織田信長の叔父である織田信光(のぶみつ)が、帰蝶と話をしていました。

 

織田信光(おだ のぶみつ)

キャスト:木下ほうか

織田信光は、織田信長の父・織田信秀の弟であり、守山城の城主です。

 

武略に優れ、今川氏と対峙した小豆坂(あずきざか)の戦いでは、武功をあげ、小豆坂七本槍の一人とされています。

家督を継いだ甥にあたる織田信長を支持し、萱津(かやづ)の戦い、村木砦(むらきとりで)の戦いで活躍しました。

織田信長が清州城に入ると、那古野城の城主となります。

 

小瀬甫庵(おぜほあん)の「信長記」によると、織田信光の最期は、家臣の坂井孫八郎に殺害されたといいます。

お墓は、名古屋市中村にある凌雲寺(りょううんじ)にあります。

また、近くには、織田信光の支城であった稲葉地城跡があります。

 

織田信光は、清州の彦五郎信友から、囲碁に誘われていると帰蝶に言います。

清州城に行くことで、織田信長に疑われないか心配している織田信光。

帰蝶は、「碁を打ちに行ったら、いいではないですか」と言います。

 

「囲碁を打ちに」を「彦五郎を討ちに」

帰蝶はこのように言葉を変換していたようです・・・。

相変わらず、恐ろしい嫁ですね・・・(笑)。

 

 

清州城内で、織田彦五郎信友と織田信光は、囲碁を打っています。

囲碁の途中で、織田信光は、織田彦五郎信友に襲い掛かり、命を奪いました。

織田信光は、主家殺しの織田信友を謀殺することに成功します。

 

それを聞いた織田信長は、直ちに清州城に入城します。

尾張国内の反信長勢力は、これで岩倉城の織田家だけとなりました。

稲葉山城で、斎藤義龍と家臣の稲葉良通(一徹)が、話しをしています。

 

稲葉良通は、清州の織田彦五郎信友が信長により討ち滅びたと報告します。

斎藤道三が、自分の子供のように自慢していることを斎藤義龍に伝えます。

また、孫四郎に家督がいかないように用心したほうがいいと忠告しました。

 

めちゃくちゃ、悪だくみをしていますね、稲葉良通・・・。

駿河に望月東庵と駒がいます。

駒は、再び藤吉郎と出会います。

 

藤吉郎は、商いをやめて、侍になると駒に告げます。

そして、家来になるなら、評判がいい織田につくと考え、尾張に旅立ちます。

切り替えが早い藤吉郎、さすがです。

 

斎藤道三の息子である次男の孫四郎と三男の喜平次は、稲葉山城に来ています。

二人は、斎藤義龍の具合が悪いと言うことで、お見舞いに来ました。

斎藤義龍の家臣・日根野弘就(ひねの ひろなり)が、二人を奥の間に案内します。

 

孫四郎と喜平次が部屋に入ると、数人の武士が出てきました。

戸惑う二人に、背後から日根野弘就らが襲い掛かり、刀で斬られます。

二人は、斎藤義龍の手によって、暗殺されてしまいました。

 

やはり、斎藤道三の子・・・、血は争えませんね・・・。

斎藤道三の館に、二人の遺体が送られてきました。

それを見た斎藤道三は、怒り狂います。

 

 

斎藤道三は、息子である斎藤義龍と戦うことを誓います。

急いで城を出て、大桑(おおが)城に向かい、戦の準備に取り掛かるのでした。

斎藤義龍は、美濃を混乱に陥れた為、孫四郎と喜平次を斬ったと言います。

 

斎藤義龍は、斎藤道三を父として認めていません。

美濃を混乱に貶めた斎藤家の当主である斎藤道三を討つ・・・。

土岐頼芸の子として、土岐氏の敵である斎藤道三を討つことを決めたのです。

 

清州(きよす)織田家と織田信長の関係

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清州織田家は、尾張守護である斯波氏の家臣です。

 

その清州織田家の家来として、織田弾正忠家(だんじょうのちゅうけ)である織田信秀や織田信長がいました。

信長の父である織田信秀が徐々に力をつけ、尾張内で勢力を拡大します。

それに危惧した、本家である清州織田氏は、織田信秀に敵対します。

 

織田信長の家督相続の時、清州織田氏の当主・織田(彦五郎)信友は、信長の弟である織田信勝(信行)を支持しています。

織田信秀に従っていた鳴海(なるみ)城主・山口教継(やまぐちのりつぐ)が、今川義元に寝返ります。

織田信長の家督を継いだ最初の戦である「赤塚(あかつか)の戦い」【現・名古屋市緑区】が起きます。

 

それに呼応するかのように、清州織田家が動きます。

清州織田家の当主は、織田信友でしたが、その実権は小守護代と呼ばれた坂井大膳(さかいだいぜん)が、握っていました。

坂井大膳は、松葉城と深田城を襲撃し、松葉城主・織田伊賀守と深田城主・織田信次(織田信秀の弟)を人質とします。

 

織田信光の協力もあり、織田信長は、清州織田家を打ち破り、勝利します。

この戦いを「萱津(かやづ)の戦い」【現・愛知県あま市】と言います。

1554(天文23)年、織田信友は、坂井大膳と図り、尾張の守護である斯波義統(しばよしむね)を自害させます。

 

斯波義統は、織田信長と通じており、清州の織田信友を失脚させようとしていたとされています。

斯波義統の息子である斯波義銀(しばよしかね)は、織田信長を頼り、那古野城に逃げ込みます。

織田信長は、安食(あじき)の戦い【現・愛知県春日井市】で、織田信友軍に勝利します。

 

織田信友の重臣・坂井大膳は、信長方にいる織田信光(信長の叔父)の調略に打って出ます。

織田信光は、坂井大膳の誘いに応じるふりをして、清州城に入ります。

そして、清州織田の当主・織田信友を謀殺して、清州城を奪いました。

 

その後、織田信長に清州城を渡し、織田信光は那古野城の城主となっています。

織田信友の重臣・坂井大膳は、今川義元の下に逃げ落ちました。

こうして、清州織田家は滅亡しました。

 

斎藤孫四郎(まごしろう)と斎藤喜平次(きへいじ)

孫四郎は、斎藤道三の次男であり、喜平次は、斎藤道三の三男です。

尾張に嫁いだ帰蝶は、姉にあたります。

 

「信長公記」では、孫四郎と喜平次は、父の道三と兄の義龍と共に稲葉山城に、四人で住んでいたとされます。

「美濃国諸旧記」では、斎藤道三は、鷺山城(さぎやまじょう)【現・岐阜県岐阜市】に隠居したとされています。

斎藤道三の引退は、道三のやり方に不満を持っていた家臣団により、強制的に行われたと言われています。

 

孫四郎と喜平次は、斎藤道三に、とても可愛がられていました。

斎藤道三は、二人の兄である義龍を廃嫡して、孫四郎を跡継ぎにしようとしていました。

孫四郎と喜平次は、共に驕り高ぶり、長男の斎藤義龍を侮るようになったといいます。

 

そのことを耳にいれた斎藤義龍は、行動に移します。

斎藤義龍は、病と装って、孫四郎と喜平次を、稲葉山城の奥の間に呼び出しました。

二人が酒に酔ったところ、家臣の日根野弘就に(ひねの ひろなり)に殺害させたと言いいます。



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