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大河ドラマ「麒麟がくる」第2話「道三の罠」感想

どうも、うめたろうです。

麒麟がくる 第2話が放送されました。

第2話のタイトルは「道三の罠」です。

 

今回は、最後に斎藤道三のマムシと言われる所以が、わかる回でした。

 

主要キャスト

明智光秀(あけちみつひで):長谷川博己

明智光安(あけちみつやす):西村まさ彦

斎藤道三(利政)(さいとうどうさん):本木雅弘

斎藤義龍(高政)(さいとうよしたつ):伊藤英明

帰蝶(きちょう):川口春奈

土岐頼純(ときよりずみ):矢野聖人

織田信秀(おだのぶひで):高橋克典

 

2話感想まとめ

隣国の尾張国の武将であり、織田信長の父・織田信秀がついに動きます。

斎藤道三の居城である稲葉山城(現・岐阜城)に、軍勢を向けます。

 

高橋克典さんは、勇猛果敢に打って出る信秀役に、ぴったりだなと思いました。

サラーリーマン金太郎のイメージが未だにありますが(笑)。

織田信秀(おだのぶひで)

キャスト:高橋克典

織田信長の父親です。

織田信秀が、尾張国(現・愛知県)の勢力を拡大し、信長の飛躍の基盤をつくりました。

晩年は、美濃の斎藤や、駿河の今川と勢力争いを続けていました。

尾張国を守り抜いた戦国武将です。

 

斎藤道三と織田信秀との、「加納口の戦い」が行われようとしています。

明智光秀は、戦いの前に主君の斎藤道三に言われました。

「旅の資金の余りを返すか、侍大将の首を二つ取れ」

 

松永久秀にお金を盗まれた明智光秀は、お金がありません。

なので、必死で侍大将の首を取ることになります。

戦場で明智光秀は、「侍大将ーー!」と何回も連呼していましたね(笑)。

 

斎藤道三の息子である、斎藤義龍も戦場にいました。

斎藤義龍は自分が正室の子ではないことを気にしています。

そのため、父である斎藤道三は、自分の言うことを聞いてくれないと考えています。

 

家臣の稲葉良通(いなばよしみち)も、斎藤道三の戦い方に不満を抱いてます。

成り上がりの斎藤道三に対し、土岐氏の家臣であった者たちから、不満が出てきています。

 

戦いに勝利した斎藤道三は、娘である帰蝶の夫である土岐頼純(ときよりずみ)と面会します。

土岐頼純は、裏で織田信秀と共謀していました。

斎藤道三から美濃国を奪い返そうと、密かに計画を立てていました。

 

 

そのことを知っていた斎藤道三は、土岐頼純に詰め寄ります。

斎藤道三は、土岐頼純にお茶を差し出します。

土岐頼純は、そのお茶を飲んだ瞬間、苦しみ悶えます。

 

斎藤道三は、お茶に毒を盛り、土岐頼純を毒殺しました。

「美濃のマムシ」と呼ばれた斎藤道三。

邪魔者はどんな手段を使っても消し去る、恐ろしい男です。

 

加納口の戦い(かのうぐちのたたかい)

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1554(天文13)年に、美濃国の加納で、斎藤道三と尾張の織田信秀が戦いました。

この戦いを「加納口の戦い(井ノ口の戦い)」と言います。

尾張の織田信秀が美濃に侵攻し、それに対して、稲葉山城を守る斎藤道三と激突します。

 

斎藤軍の兵数は不明ですが(4千人ぐらいと言われている)、織田軍の兵は万6千人の大軍でした。

織田信秀は、稲葉山城山麓の村を焼き払い町口まで、侵入します。

斎藤道三は、籠城し、織田軍の猛攻を耐えます。

 

織田の軍勢は、夜に近づいた為、一旦、兵を引き下げます。

斎藤道三は、兵が引いたのを狙って、軍勢を一気に、織田軍に攻めかかります。

織田軍は守備が整わず、総崩れになり、約5000人が討ち死にしたと言います。

 

討死した中には、織田信秀の弟・織田信康(おだのぶやす)や織田家家老・青山信昌(あおやまのぶまさ)もいました。

大敗をした織田信秀は、尾張に引き返すことになりました。

 

斎藤道三の下剋上と土岐氏の家督争い

斎藤道三と土岐氏の関係を見てみましょう。

美濃国の守護である土岐氏に、家督争いが起こります。

守護職の土岐政房(ときまさふさ)には、子供が二人いました。

 

・長男・土岐頼武(ときよりたけ)

・次男・土岐頼芸(ときよりのり)

 

この二人の兄弟で家督を争う戦いが始まります。

斎藤道三は、土岐頼芸の味方につき、土岐頼武を美濃国から追い出します。

その後、土岐頼武は朝倉氏を頼り、越前に逃げ込みますが、病に倒れます。

 

土岐頼純は、父の意志を継ごうと決めます。

越前の朝倉氏と尾張の織田氏の力を借り、美濃国奪還を目指していました。

斎藤道三の戦略(朝倉・織田と和睦)により、今度は、土岐頼芸を美濃守護職から退職させます。

 

新たに、土岐頼純を美濃守護職につかせます。

しかし、美濃守護職についた土岐頼純は、一年余りで急死してしまいます。

ここが2話で、斎藤道三が、土岐頼純を毒殺した場面になります。

 

斎藤道三は、土岐頼芸を再び守護職にしました。

しかし、数年後、土岐頼芸は斎藤道三によって、美濃国を追放されました。

斎藤道三は、土岐氏の家督争いをうまく使い、美濃国を奪いました。

 

この辺りが、斎藤道三が「マムシ」と言われる所以です。

今回の第二話では、斎藤道三という人物像が凝縮されていました。

身分が低い油売りから、美濃一国の主となった斎藤道三。

 

これが、いわゆる戦国時代を代表する下剋上」です。

明智光秀の目には、斎藤道三はどのように映っていたのでしょうか。

明智光秀は、戦場で、「やらないとやられると」言っていました。

 

斎藤道三の手段を選ばないやり方は、のちの明智光秀に影響を与えたのかもしれません。

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