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大河ドラマ「麒麟がくる」第6話「三好長慶襲撃計画」感想

どうも、うめたろうです。

麒麟がくる第6話が放送されました。

第6話のタイトルは「三好長慶襲撃計画」です。

 

今回は、三好慶長と松永秀久が襲われます。

そこに、明智光秀・細川藤孝が助けに来て戦います。

映像美も相まって、カッコイイ演出になってました。

 

主要キャスト

明智光秀(あけちみつひで):長谷川博己

斎藤道三(さいとうどうさん):本木雅弘

織田信秀(おだのぶひで):高橋克典

足利義輝(あしかがよしてる):向井理

三淵藤英(みつぶちふじひで):谷原章介

細川藤孝(ほそかわふじたか):眞島秀和

三好慶長(みよしよしなが):山路和弘

松永久秀(まつながひさひで):吉田鋼太郎

細川晴元(ほそかわはるもと): 国広富之

駒(こま):門脇麦

望月東庵(もちづきとうあん):堺正章

 

6話の感想まとめ

管領・細川晴元(ほそかわはるもと)と家臣である三好長慶(みよしよしなが)が、衝突しようとしています。

三好長慶は、公家の万里小路(までのこうじ)の連歌会に、出席することになりました。

明智光秀は伊平次に、三好長慶と松永秀久が襲撃される計画があることを聞きます。

 

三好長慶(みよしよしなが)

キャスト:山路和弘

三好長慶は、管領細川晴元の下で、次第に力を拡大していきます。

ついには、主君である細川晴元を京から追い出し、幕政の実権を掌握します。

全盛期には、10ヵ国以上を治め、家臣の松永秀久と共に、全国に名を轟かせます。

 

襲撃計画を知った明智光秀は、助けを求めるため、三淵藤英(みつぶちふじひで)の屋敷に向かいます。

屋敷には、三淵藤英と共に、細川藤孝(ほそかわふじたか)もいました。

細川藤孝は、細川晴元を良く思っていません。

 

三好慶長を助ける義理はないが、三好慶長が斬られると、細川晴元の立場が有利になってしまう・・・。

細川藤孝は、「今すぐに助けに行こう」と明智光秀に言います。

 

しかし、三淵藤英は内輪同士の争いに、手を貸す必要はないと考えています。

明智光秀は、引き下がれません。

明智光秀は、武士の棟梁である将軍家が戦をとめるべきであると訴えます。

 

武士の上に立つ将軍がなぜ、戦を止めないのか!

 

らちがあかないと思った明智光秀は、屋敷から出て行きました。

その陰で、将軍である足利義輝(あしかがよしてる)が、話を聞いていました。

明智光秀の言葉は、足利義輝に響きました。

足利義輝は、家臣に明智光秀の後を追うように命令します。

 

 

三好長慶と松永久秀は、細川晴元の使者により襲撃に遭います。

そこに、明智光秀が助けに駆けつけます。

ヒーロー見参って感じの登場でしたね(笑)。

 

細川藤孝も遅れて駆けつけ、共に戦います。

この殺陣(たて)のシーンは、紅葉の絨毯が敷かれ、とても綺麗な演出でした。

今回の大河ドラマは、色合いが鮮やかで、映像美がきれいに映ります。

 

そこに、三淵藤英も遅れて駆けつけました。

三好長慶と松永秀久は、なんとか危機を脱しました。

 

この襲撃事件は、実際に史実に残っています。

1551(天文20)年に、三好長慶は二回、暗殺未遂事件に遭遇しています。

史実では足利義輝が刺客を送ったと言われています。

 

先の戦いで、肩に傷を受けた明智光秀は、望月東庵に治療をしてもらいます。

明智光秀は、刀傷によって、二日間寝込んでいました。

そこに、細川藤孝が見舞いに来ます。

 

細川藤孝は、明智光秀の武士としての志に感銘を受けていました。

細川藤孝は美濃に帰らず、京都に残ってほしいと明智光秀に伝えます。

しかし、明智光秀は、その願いを断ります。

 

明智光秀は、自分の故郷である美濃が心配です。

どうすれば、美濃が一つにまとまるのか。

明智光秀にはまだ、美濃でやることがあったのです。

 

明智光秀は、美濃を一つにまとめてから、また京に来ることを誓います。

後年、明智光秀は、織田信長の家臣として、京に戻ることになります・・・。

望月東庵から、美濃で戦が起きていると聞いた明智光秀は、急ぎ、美濃に帰るのでした。

 

美濃では、斎藤道三が織田信秀から大垣城を奪い返していました。

体調がよくなった明智光秀は、駒と共に美濃に帰ります。

駒の気持ちは光秀に伝わるのでしょうか・・・。

 

大垣城(おおがきじょう)は大柿城?

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大垣城といえば、関ヶ原の戦いで、西軍の石田三成が本拠地としたお城として有名です。

西軍は大垣城から、戦場の舞台になった関ヶ原に向かっています。

1544(天文13)年、大垣城は、織田信秀によって攻め落とされます。

 

城主には、織田信辰(おだのぶたつ)を置きます。

その後、1547(天文16)年、斎藤道三は大垣城を奪い返します。

その時に、竹腰尚光(たけのこしなおみつ)を城主に置きました。

 

今回の6話では、「大垣城」が「大柿城」の表記になっていました。

鎌倉時代から、この地は「大柿」と地名がありました。

室町時代に入ると、「大垣」という表記が見られるようになります。

 

江戸時代までは、「大垣」と「大柿」が両方使われていたと考えられています。

また、豊臣秀吉の生涯が描かれている「太閤記」には、大柿城との表記があります。

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