史跡巡り

【明智越】京都府・兵庫県史跡巡り①【明智光秀ゆかりの地】

どうも、うめたろうです。

今回の史跡巡りは、京都府と兵庫県に行ってきました。

2020年の12月中旬に、2泊3で行ってきました。

ちょうど、その週だけ気温が低く、激寒で雪が降るか降らないかという具合でした。

 

前回に引き続き、「麒麟がくる」に合わせて、明智光秀の史跡を中心に巡りました。

今回の旅は、山城や山登りがメイン。

と言うことで、事前に登山の準備をしました。

 

トレッキングポール(登山用の杖)やマウントパーカー、リュック・・・。

Amazonやユニクロで買って、準備万端で行きました。

 

明智越(あけちごえ) 明智光秀が越えた道

 

名古屋から高速道路で、京都の亀岡駅まで約2時間。

亀岡駅のコインパーキングに停めて、明智越の入り口を目指します。

初日の予定は、明智越を通り、そのまま、愛宕神社がある愛宕山を登ります。

 

そのため、少しでも体力を温存するため、亀岡駅から明智越の入り口までタクシーを使用しました。

ちなみに、亀岡駅から明智越の入り口までは、徒歩で30分ぐらいです。

 

 

明智越の入り口に、到着です。

亀岡駅から明智越の入り口までのタクシー料金は、1000円行かないほどでした。

タクシーの運転手さんが、いい人でした。

 

「何かあったら、このレシートの番号に電話してください」と、心配をして頂きました・・・。

その優しさに感動っ!!

 

 

年季が入った全体図と、明智越についての説明板がありました。

地図には、明智越を通過するのに「2時間」と書いてあります。

 

明智越とは、明智光秀が亀山城から愛宕神社に参拝していた道のことです。

また、「明智軍記」では、3つのルートに軍勢を分け、本能寺に進軍したとあります。

そこで本隊は、明智越のルートを進軍したと、書かれています。

 

※「信長公記」には、明智軍は老ノ坂のルートで、本能寺に進軍したと記載されている。

現在では、明智光秀は老ノ坂を通った説が、有力視されています。

 

 

通称、「簾戸口(すどぐち)」と呼ばれる入口からスタートです。

2時間もかかる山道を通るのは、初めてだから緊張するうめたろう・・・。

 

 

少し進むと、保津(ほづ)城跡の看板が出てきました。

木が茂っていて、特に遺構は見当たりませんでした。

 

 

道幅が、急に狭くなりました。

落ち葉で滑るので、少し危険ですね。

 

 

さっそく、道を間違えました・・・。

この小屋みたいな建物が出てきたら、行き過ぎです。

 

ここをまっすぐ進むと、倒木があり、先に進むことができません。

どうやら、上に登るのことを指示する、小さな矢印の看板を見落としていました。

 

 

ゆるやかな傾斜が、出てきました。

ひたすら、木の間を通り、傾斜を登ります。

 

 

大見晴らしと書いてある看板が、出てきました。

「餘部(あまるべ)城主・福井一族の悲話」と、書いてあります。

城主・福井貞正が守る餘部城は、明智光秀に攻められ、餘部城の落城と共に自害をしました。

 

先に逃げていた福井氏の子供たちは、この場所から落城した餘部城を見ました。

もはやここまでと思い、この場所で自害したと言います。

 

 

所々で、倒木が道をふさいでいます。

以前の台風の影響を、受けているようです。

台風の時は、一時、通行止めになったようです。

 

 

こちらも、倒木が・・・。

しゃがんで、くぐり抜けます。

 

 

「峰の堂(むねんどう)」に、着きました。

ここまで、約50分かかりました。

 

入口の看板には、ここまで30分と書いてありました・・・。

最初に迷ってしまったので、それが影響しました。

 

 

峰の堂は、清和(せいわ)天皇が隠居生活を過ごし、崩御した場所です。

明智光秀は、愛宕神社の参拝時に、峰の堂で本能寺攻めの必勝祈願をしたと伝わります。

 

その後、明智光秀が天下を獲れず、この世を去りました。

明智光秀に共鳴して、「無念堂」と呼ばれるようになったようです。

 

 

少し進むと、鐘撞堂(かねつきどう)跡に到着しました。

この場所に昔、お寺があったようですね。

 

 

ここから、傾斜が緩くなり、平坦な道が続きました。

周辺には、木がたくさん倒れています。

 

 

「土用(どよう)の霊泉」に、到着しました。

ここまで、約1時間15分かかりました。

 

明智光秀軍の本能寺攻めの際、三七草(さんしちそう)を、この湧き水に浸しました。

浸した三七草を鎧の袖の下に秘めて、進んだと伝わります。

 

三七草は、止血の効果があったようです。

ちなみに、湧き水らしきものは、見当たりませんでした。

 

 

道案内の看板が出てきました。

ここで道が、二手に分かれていました。

どうやら、右の道は崩壊しており、危険なので迂回して!との注意書きでした。

 

 

少し進むと、また分かれ道が出てきました。

看板には、明神峠と保津峡の文字があります。

明智越は、右の道へ進みます。

 

 

久々に、吹き抜けの景色の登場です。

この日は、本当に天気に恵まれました。

 

 

おぉ・・・、ついに集落が見えました。

どうやら、水尾の町に近づいているようです。

 

 

ここから、道が下り始めます。

道には、少し雪が残っています。

 

 

大きな電波塔が、建っていました。

ここに来るまでに、電波塔は二回ぐらいありました。

 

 

この辺りから道が細くなり、石も散乱していました。

ここで足をくじいたら終了なので、慎重に下ります。

 

 

謎の文字を発見。

これは何と読むのでしょうか・・・。

 

 

最後に小さな細い橋を渡って、ゴールです。

結構、怖かったです、この橋・・・。

 

 

キレイな川が、流れていました。

この川は、保津峡に続いてるようです。

 

 

右に進むと、JR保津峡駅です。

左に進むと、水尾の町です。

この後、愛宕山を登るため、水尾方面に向かいました。

 

おわりに・・・

8時にスタートして、10時20分にゴールをしました。

明智越の所要時間は、2時間20分でした。

 

写真や動画を撮りながらの所要時間です。

普通に歩くだけなら、やはり2時間ぐらいだと思います。

 

歩いた感想としては、危険な道もなく、比較的歩きやすい道になっています。

案内の看板も所々にあるので、道に迷うこともないと思います。

まぁ、うめたろうは、いきなり最初で間違えましたが・・・(笑)。

 

最初の登りになるところさえ、間違わなければ大丈夫です。

あと、天気が良かったので、空気もおいしく感じ、気持ちよかったです。

皆さんも、明智越にハイキングをしてみては、いかがでしょうか。

 

このあと、水尾の町を経て、愛宕神社を目指し、愛宕山を登ります。

最後に、これだけは言わせてください・・・。

明智越とセットで愛宕山を登るのは、めちゃくちゃキツイ!!

 

うめたろうみたいに体力がない人は、別日にした方が、絶対に良いです。

一緒にしたせいで、かなりしんどい思いをしました・・・。

愛宕山の登山の様子は、次の記事に書かせてもらいます。

-史跡巡り

© 2021 歴史の未来ブログ Powered by AFFINGER5