史跡巡り

【宇佐山城跡・延暦寺】滋賀県の史跡巡り⑤【明智光秀ゆかりの地】

どうも、うめたろうです。

滋賀県史跡巡りの最終日です。

二日目は坂本城跡を中心に、明智光秀ゆかりの地を満喫しました。

 

三日目の最初の目的地は、明智光秀の居城でもあった宇佐山城跡です。

相変わらず、朝の交通量がハンパない・・・。

 

宇佐山城跡(うさやまじょうあと) 明智光秀の居城 滋賀県大津市

事前情報では、車は近くの近江神宮に駐車して、そこから歩くのがおススメと書いてありました。

宇佐山城の麓には、宇佐八幡宮と豊平稲荷社があります。

 

 

豊稲荷社の前にも、駐車スペースはあるようです。

しかし、その駐車スペースに行くには、道が険しく、おススメしないと書いてありました。

少しでもラクをしたいうめたろうは、グーグルマップで入念にチェックをし、車で突撃を決行。

 

 

うわさ通りの未舗装の道を、グラグラと車を揺らしながら進みました。

なんとか豊稲荷社の駐車スペースに到着しました。

この鳥居の前に駐車スペースがあり、約3台~4台が駐車可能です。

 

 

この坂道を車で登ってきました。

この坂の手前に、ボコボコの砂利道がありました。

駐車スペースから、少し石段を上ると神社があります。

 

 

こちらは、宇佐八幡宮(うさはちまんぐう)です。

宇佐八幡宮は、河内源氏初代棟梁である、鎮守府将軍・源頼義(よりよし)と関係が深い神社です。

源頼義は前九年の役のあと、この地に住み、大分県の宇佐宮を勧請し、産土神として崇拝します。

 

 

登城の成功を願い、手を合わせます。

ん?賽銭箱の隣になにかあるぞ・・・。

 

 

よく見ると「手をかざすと、自動で鈴の音が鳴る」と書いてある・・・。

なんて、ハイテクな鈴の音!!

コロナ対策ばっちりです(珍しいので無駄に、二回ぐらい鳴らしました)。

 

 

本殿の横に、大量の鳩の置物を発見。

なぜ、鳩がこんなに・・・。

 

 

しおりによると、鳩の導きにより、この地に八幡宮を創建したと書いてありました。

また、鳩は八幡の使いであり、古くから神への感謝やお礼の意味をもって奉納されたようです。

 

 

しかし、この量はインパクトありますね・・・。

しれっと猫ちゃんが、2匹混じっています(笑)。

 

 

さらに奥には、建物の基礎となる石、礎石(そせき)がありました。

 

 

この礎石は、源頼義が宇佐八幡宮を創建した当時の柱石の一部です。

焼きただれている部分は、宇佐山城の戦乱の戦火で焼失したとのこと。

 

 

宇佐八幡宮の本殿を右奥に進むと、宇佐山城の入り口です。

看板は色褪せており、かなり古びています。

 

 

手作りのPOPがありました。

織田信長、森可成、明智光秀のイラストが描かれています。

三人とも、宇佐山城にゆかりがある武将です。

 

 

所々に、手書きの応援メッセージがあります。

頑張って登ります!!

 

 

道案内があるので、迷うことは無さそうです。

木の間を、ひたすら進みます。

 

 

序盤で、いきなり急斜面があります。

かなり滑りやすいため、ロープを掴みながら登ります。

 

 

周囲はとても静かで、騒音が全く聞こえません。

この日のために買ったクマ除けの鈴が、山に響き渡ります。

鈴と言うより、もはや鐘みたいな音がでるものを買いました・・・。

 

 

倒木っ!!

なかなか、険しい道だな・・・。

 

 

「がんばれ!いいね、しが」

応援があると頑張れるタイプです。

 

 

「宇佐山まで、あとすこし!!」

どうやら、このメッセージは、地元の小学生が作成したようですね。

 

 

もうすでに、汗だくです・・・。

 

 

本丸の石垣の看板を発見!!

頂上まで、あと少しか・・・。

 

 

こちらが、本丸の石垣です。

1570(元亀元)年に、森可成(もりよしなり)によって、宇佐山城は築城されました。

500年の時を経て、ここに石垣が残っている・・・。

そう思うと、感慨深いですね。

 

 

石垣があるところは、かなりの急斜面になっています。

ここを登って本丸跡まで行こうとすると、けっこう危険です。

「マジでここを登るのか?」と、思ったぐらいです。

 

待てよ・・・、そういえば、ここを登って軽いケガをしたというブログを見たぞ・・・。

そのことを思い出したうめたろうは、通常ルートに戻りました。

ルートを右に少し迂回すると、ちゃんと上に登ります。

 

 

右に行くと三の丸で、左に行くと本丸です。

まずは、本丸を目指します。

 

 

お地蔵さんが、ポツンといました。

お邪魔させて頂きます。

 

 

ここでも、石垣を発見しました。

周りには、崩れた石垣が散らばっていました。

 

 

この階段を上ると、本丸跡に到着です。

 

 

ついに到着!!

登城口から25分で到着です。

 

 

NHKの文字が見えます。

本丸跡には、NHKと民間放送のアンテナ施設があります。

 

 

こちらは、宇佐山城の全体図です。

本丸は他の山城に比べると、範囲が狭いですね・・・。

 

 

荷物を運ぶレールがありました。

帰りはこれに乗って、降りたいぞ・・・。

 

 

奥の更地が、二ノ丸跡です。

 

 

建物の下にも、石垣を発見。

 

 

本丸を堪能したうめたろうは、三の丸跡に向かいます。

 

 

景色が見える三の丸跡を、「宇佐山テラス」と言うようです。

織田信長は、ここから坂本城や安土城の構想を考えたと書いてあります。

 

 

1570(元亀元)年、志賀の陣が勃発します。

織田信長の隙をつき、浅井朝倉軍は京都に向けて進軍を開始。

 

宇佐山城主であった森可成は、坂本の地で進路を妨害し、両軍が激突しました。

しかし、圧倒的な数の差に森可成をはじめ、信長の弟・織田信治、青地茂綱が戦死します。

 

 

その後、森可成の家老・各務元正(かがみもとまさ)は、宇佐山城を守り抜きます。

各務元正は、織田家中でも武勇を評価され、一目置かれる存在でした。

織田信長は、摂津国から本隊を撤退させ、この宇佐山城に入城しました。

 

 

森可成は、宇佐山城に籠城していれば、命を落とすことはなかったはず・・・。

しかし、浅井・朝倉軍が京都に入ったら、織田信長の立場は危うくなります。

「絶対に、ここで食い止める!」と、森可成は思ったのかな・・・。

 

琵琶湖を眺めながら、そんなことを思っていました。

帰りの車で、3組ほどの人達を見ました。

人気がありますね、宇佐山城。

 

志賀の陣・宇佐山城の戦いはこちら

【信長包囲網】織田信長ゆかりの地【戦い③】

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森可成のお墓はこちら

【西教寺・日吉大社】滋賀県の史跡巡り③【明智光秀・天海ゆかりの地】

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比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ) 日本仏教の聖地 滋賀県大津市

 

宇佐山城から車で約30分、比叡山延暦寺に到着しました。

比叡山ドライブウェイの料金・・・、ちょっと高すぎませんか?

 

普通車は、東塔まで1700円!!

西塔まで行くものなら、3270円。

 

これには、関所を撤廃した織田信長もびっくりですよね・・・。

巡拝料1000円(国宝セットだと1500円)を払って、入場します。

 

 

こちらは大講堂です。

織田信長による比叡山焼き討ちで焼失した建物は、大講堂と根本中堂と言われています。

 

 

こちらは、開運の鐘です。

この鐘は、実際に鳴らすことができます。

 

 

比叡山延暦寺のメインである根本中堂(こんぽんちゅうどう)の石碑です。

紅葉がまだ少し残っていました。

 

 

あ、根本中堂が、プレハブになっています・・・。

現在、平成の大改修中で、2016年から10年間にかけて改修工事をしてるようです。

 

 

ちなみに、こちらが2007年に訪れたときの根本中堂です。

今回、13年ぶりに比叡山延暦寺に訪れました。

 

1200年燃え続ける「不滅の法灯」も見ました。

まぁ、距離が遠くて、入れ物に入っているので、よくわからなかったんですけどね・・・。

 

 

お堂の中は写真禁止ですが、このステージ上はOKでした。

屋根の高さまで上ることができ、改修工事を真近で見ることができます。

めったに行われない大改修なので、貴重な体験ですね。

 

 

比叡山の正門である文珠楼(もんじゅろう)です。

創建は、根本中堂と同じくらい古いと言われています。

全体的に唐様が取り入れられており、折衷様式となっています。

 

 

中に入ることができ、中の様子を見学できます。

 

 

明智光・・・、天海もいました。

今回の目的は、根本中堂だけだったので、これにて比叡山を降ります。

 

 

ドライブウェイの途中に、紅葉スポットがありました。

広い駐車場もあり、多くの人がいました。

 

 

うめたろうにとって、これが今年最後の紅葉になりました。

そして、関所でお布施をして、次の目的地に向かいます・・・。

 

明智左馬之助(あけちさまのすけ)駒止めの松 左馬之助伝説 滋賀県大津市

 

柳が崎湖畔公園の有料駐車場に、車を駐車しました。

こちらは、明智左馬之助秀満(光俊)の駒止めの松です。

明智左馬之助は、秀満や光春、光俊など、複数の名前で呼ばれています。

 

 

明智秀満は、明智光秀の娘婿であり、光秀の重臣でした。

明智光秀が本能寺の変を起こすと、明智秀満は安土城を守備することになります。

山崎の戦いで、明智光秀の戦死を聞いた秀満は、安土城から坂本城を目指します。

 

 

その途中、打出浜から馬に乗ったまま琵琶湖を渡りました。

柳が崎に上陸した明智秀満は、この松に馬を繋ぎ止めたと言います。

 

 

こうゆう伝説は、歴史ファンを楽しませてくれます。

 

明智左馬之助(あけちさまのすけ)湖水渡の碑 左馬之助伝説 滋賀県大津市

 

明智秀満の湖水渡りに関して、もう一つ石碑があります。

駒止めの松から車で10分ほどのところに、明智左馬之助湖水渡の碑があります。

琵琶湖文化館に隣接する、おまつり広場駐車場に車を駐車しました。

 

 

明智秀満は、坂本城に向かう途中に、秀吉軍の堀秀政軍に遭遇します。

そこで、戦闘を回避するため、琵琶湖を馬で渡ったと伝わります。

 

 

その後、この伝説は歌舞伎や浮世絵などの題材となりました。

こんな伝説いくらあってもいいですからね~。

 

 

どうしても気になる建物が隣にあります・・・。

琵琶湖文化館。

インパクトありすぎて、明智秀満よりこっちの方が気になりました(笑)。

 

 

1961(昭和36)年に建築され、総合レジャー施設として活躍しました。

一時は、展望台、水族館、博物館、美術館、プール、レストランなどがあったという・・・。

 

しかし、2008(平成20)年に、老朽化や入場者の減少を理由に休館となったようです。

現在は、文化財講座や収蔵品の展示活動などで使用しているとのことです。

中に入ってみたい・・・。

 

明智秀満の最期はこちら

明智光秀ゆかりの地【山崎の戦い】

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おわりに・・・

滋賀県史跡巡り、三日目の前半が終わりました。

今回は、久々に山城に登ったのですが、体力がないことを再び痛感しました。

自分のクマ除けの鐘がうるさすぎて、これから使うのを迷います・・・。

 

比叡山には、10年以上ぶりの訪問でした。

もう少し時期が早かったら、もっと紅葉がすごかったのかな?

ドライブウェイの関所は、関所を撤廃した信長への当てつけでしょう・・・。

 

明智秀満の史跡は、ここぐらいなので、貴重な史跡ですね。

しかし、琵琶湖文化館は、昭和の遺産って感じで、なかなか味がありますね。

地元の方にはお馴染みの建物だったのでしょうか?

 

次回は、滋賀県史跡巡り最後の記事になります。

第6弾に続く・・・。

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