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【鬼の伝説】鬼は日本に実在していたのか?【鬼滅の刃】

どうも、うめたろうです。

鬼滅の刃シリーズ関連の第3弾です。

 

漫画「鬼滅の刃」は、主人公の炭治郎や鬼殺隊の柱たちが、鬼と戦うストーリーですね。

炭治郎たちの敵である鬼の親玉・鬼舞辻無惨(きぶつじ むざん)。

鬼舞辻無惨は、平安時代に最初に鬼となった男で、人間を鬼に変えることができます。

 

たくさんの鬼を作り上げ、上弦の鬼・下弦の鬼と鬼の集団を作ります。

中でも、上弦の鬼は、血鬼術という強力な特殊能力を使い戦闘をします。

 

漫画「ワンピース」は、現在、主人公のルフィたちはワノ国の島におり、敵のボス・カイドウは鬼ヶ島にいます。

また、漫画「約束のネバーランド」でも、鬼の世界が存在しています。

うめたろうが漫画で鬼を見たのは、「幽遊白書」の飛影の仲間だった剛鬼(ごうき)以来ですよ・・・。

古くてすみません・・・。

一つ言えることは、剛鬼は間違いなく、無惨様に殺される下弦の鬼レベルでしょうね(笑)。

 

漫画以外でも、少し前に、「鬼からの電話」と言うアプリが話題になりました。

鬼から携帯に電話がかかり、言うことを聞かない子供を怖い鬼が叱ってくれるというものです。

子育て世代の母親たちに、人気が出て、話題になりました。

 

いま、空前の鬼ブーム?ということで、鬼の伝説についてまとめてみました。

 

目次

そもそも、鬼とは一体、何なのか?

「鬼(キ)」という漢字の元々の意味は、「死者の魂」と言われています。

中国では、鬼は死霊を意味するものとされ、6世紀後半の古墳時代に日本に伝わります。

日本の古来のオニと重なって、現代に伝わる「鬼」の意味になったと言います。

 

「おに」の語は「おぬ(隠)」が転じたもので、元来は姿の見えないものとして伝わりました。

そこから人の力を超えたものとなり、人に災いをもたらす生き物と定着します。

また、思想と習合して、地獄の番人とされたと考えられています。

 

平安時代から鬼は、怖い存在として語られます。

平安時代や鎌倉時代の書物には、鬼が登場しています。

「日本書紀」「伊勢物語」「宇治拾遺物語」などに鬼が実在した話が出てきます。

 

いまでも、日本の山地には、鬼が住んでいたという伝説が数多く伝わります。

日本の全国に鬼の伝説や鬼の伝承地があり、現代までずっと語り継がれています。

今回は有名な鬼や伝承地を一部ですが、ご紹介したいと思います。

 

八幡竈門神社(はちまんかまどじんじゃ) 大分県別府市 【鬼滅の刃の聖地】

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大分県別府市に八幡竈門神社(はちまんかまどじんじゃ)はあります。

現在、最も人気がある神社ではないでしょうか。

なぜなら、ここは「鬼滅の刃」の聖地と言われ、ファンが押し寄せています。

 

作者である吾峠呼世晴(ごとうげこよはる)先生は、八幡竈門神社をモチーフにしたとは公言していません。

しかし、八幡竈門神社には、「鬼滅の刃」との共通点が、数多くあることで話題になっています。

 

竈門神社と鬼滅の刃の共通点

①主人公の竈門炭治郎と竈門神社の名前が一緒である。

②竈門神社には、鬼伝説が存在する。

③竈門神社には神楽殿があり、毎年、かまど神楽舞を奉納している。

日本では、かまど神は火の神様であり、炭治郎の竈門一族が使用する呼吸法もヒノカミ神楽である。

④竈門神社の拝殿内部の天井に龍が描かれており、この龍は、火災などを鎮める水の神様と言われている。

炭治郎は、水の呼吸を使用していた。

⑤作者の吾峠呼世晴先生は、福岡県出身であり、福岡県は大分県の隣の県。

 

八幡竈門神社には、鬼の伝説があります。

 

八幡竈門神社の鬼伝説

昔、かまど村に人喰い鬼が住み着いており、村人たちは困っていました。

村人たちは、神様に「鬼をどうにかしてほしい」と相談します。

 

神様は鬼と話し合い、ある約束をします。

「一晩のうちに百の石段を造れたら、人間の生贄を差し出そう」

「もし、できない時は、かまどで煮て食う」

 

神様は鬼と勝負をすることになり、鬼はその勝負を受けました。

鬼は99段まで石段を造りましたが、そこで朝日が昇ってしまいます。

朝日を見た鬼は慌てて逃げだし、石の草履を片方だけ忘れます。

 

勝負は神様の勝ちでしたが、神様は鬼が99段の石段を造ったことを讃えます。

神様は龍神を使いに出し、鬼を改心させます。

その後、鬼は「かまど地獄」の門番として、真面目に働いたと伝わります。

 

村人は、鬼が忘れた石草履に足を置いてみると、力がみなぎり仕事がはかどったと言います。

また、体の悪い村人が足を置くと、たちまち元気になったそうです。

 

八幡竈門神社では、話の元になった石段と石草履を観ることができます。

九州地方には、竈門神社以外にもたくさんの鬼の伝説があります。

福岡県に行った際には、ぜひ立ち寄りたいですね。

八幡竈門神社(かまどじんじゃ)

住所:大分県別府市大字内竈(うちかまど)1900番地

アクセス:JR亀川駅下車。バスで「内竈入口」下車から徒歩約10分

 

伝説の怖い鬼たち【鬼滅の刃の上弦の鬼レベル】

鬼にも、有名な鬼や無名な鬼がいます。

鬼滅の刃で言ったら、「上弦の鬼」にあたるレベルの、有名な鬼たちを一部紹介します。

酒呑童子(しゅてんどうじ)
大江山を住処とし、京の町を震え上がらせました。
体は赤く、眼は15個あり、角は5つもあると伝わります。

茨木童子(いばらきどうじ)
酒呑童子の重要な家来。
酒呑童子が鬼の大将なら、茨木童子は副大将。

藤原千方の四鬼(ふじわらのちかたのよんき)
金鬼・風鬼・水鬼・隠形鬼
豪族・藤原千方は、四人の鬼を従えて、朝廷に反乱を起こした。

大嶽丸(おおたけまる)
鈴鹿山を縄張りとし、鬼神などと呼ばれていた。
征夷大将軍・坂上田村麻呂に退治される。

金平鹿(こんへいか)
三重県熊野を住処とした鬼。
征夷大将軍・坂上田村麻呂に退治される。

紅葉(もみじ)
長野県の戸隠山に住み着いた鬼女。
平維茂(たいらのこれもち)により退治された。

牛鬼(ぎゅうき/ぎゅうおに)
西日本に伝わる鬼。
頭部は牛で、体が鬼と言われている。

 

この他にも、たくさんの名の知れた鬼が、各地の伝説には存在します。

次は、主だった鬼と共に、伝承地を見ていきましょう。

 

最強の鬼 酒呑童子(しゅてんどうじ)

酒呑童子(しゅてんどうじ)は、最強の鬼と呼ばれ、三大妖怪のひとりとされています。

生まれは越後(新潟県)と伝わり、そのほかの説に、伊吹山や大和国(奈良県)とも伝わります。

名前の由来は、お酒が大好物だったことから、この名で呼ばれていました。

 

丹波国の大江山、または山城国(京都県)と丹波国(兵庫県)の国境にある大江山(老の坂)を住処としていました。

酒呑童子は鬼の頭領として、大江山で洞窟の御殿に住み、数多くの鬼たちを従えていたと言います。

 

鎌倉時代末期に誕生した「大江山絵詞(おおえやまえことば)」

鎌倉時代末から江戸時代に成立した「御伽草子(おとぎぞうし)」

酒呑童子の伝説は、この2つの書物に詳しく載っています。

 

酒呑童子の伝説内容

平安時代、京の町で若者や姫君が、次々と失踪する事件が起きました。

陰陽師の安倍晴明(あべのせいめい)に占ってもらうと、大江山に住む鬼・酒呑童子の仕業と判明します。

酒呑童子は茨木(いばらき)童子や四天王の鬼を従え、京の町で人間を襲い、食べていました。

 

一条天皇は、酒呑童子の鬼たちの討伐の命を出します。

「大江山絵詞」では、源頼光(みなもとよりみつ)と藤原保昌(ふじわらやすまさ)

「御伽草子」では、源頼光と頼光四天王(渡辺綱、坂田公時、碓井貞光、卜部季武)

 

源頼光たちは山伏に変装し、鬼の居城を訪ね、酒呑童子の居場所を突き止めます。

神からもらった「神変奇特酒」(神便鬼毒酒)という毒酒を飲まし、酒呑童子の寝所を襲い、首を刎ねました。

源頼光たちは、酒呑童子の首級を持ち帰り、京都に凱旋します。

酒呑童子の首級は、宇治にある平等院の宝蔵に納めました。

 

酒呑童子は首を斬られても、首だけで源頼光に襲い掛かったと言います。

最強の鬼と呼ばれているが、寝込みを襲われて、討たれるのは意外・・・。

 

酒呑童子神社(しゅてんどうじじんじゃ) 新潟県燕市

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酒呑童子の誕生地と言われる酒呑童子神社(しゅてんどうじじんじゃ)は、新潟県燕市にあります。

この酒呑童子神社には、酒呑童子が鬼になった伝説が伝わります。

 

酒呑童子の鬼になった伝承

美男子であった外道丸(げどうまる)は、娘たちから恋文を数多くもらいます。

修行に励んでいた外道丸は、娘たちの恋文を読むどころか、開けることもしませんでした。

ある日、恋文を読まれなく、悲観した娘のひとりが命を絶ちました。

 

それを聞いた外道丸が恋文を取り出すと、恋文が炎となり、外道丸を襲います。

外道丸は、顔を焼かれ、鬼のようになってしまいます。

外道丸は、娘の呪いから鬼(酒呑童子)になってしまったのです。

 

なんとも、切なく、恐ろしい話です。

鬼になりたくて、鬼になった訳ではない・・・。

そんな鬼が日本には、多かったのかもしれません。

 

そういえば、「鬼滅の刃」に登場する鬼の過去も、切ない話が多いですよね。

現在、酒呑童子神社では、娘の想いを成仏させてあげたい・・・。

そんな思いでカップルが訪れ、いまでは、縁結びの神社として有名のようです。

 

酒呑童子神社(しゅてんどうじじんじゃ)

住所:新潟県燕市長辰酒呑童子神社

アクセス:JR越後線「分水駅」より車で約10分

 

鬼の交流博物館(おにのこうりゅうはくぶつかん)京都府福知山市

鬼の交流博物館は、酒呑童子の鬼伝説がある福知山市大江町にあります。

鬼の交流博物館では、日本の鬼や世界の鬼、大江山の鬼伝説の歴史を知ることができます。

 

この大江山で源頼光たちは、酒呑童子と戦い、勝利しました。

博物館の近くには、鬼の足跡源頼光の腰掛岩など、鬼退治ゆかりのスポットがあります。

鬼の交流博物館(おにのこうりゅうはくぶつかん)

住所: 京都府福知山市大江町仏性寺909

アクセス:丹鉄大江駅下車。バスで「大江山の家」下車すぐ

 

首塚大明神(くびづかだいみょうじん) 京都府京都市

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首塚大明神は、京都府京都市にあります。

この地に、酒呑童子の首を埋めたとされています。

伝説では、源頼光は酒呑童子の首を、京へ持ち帰ろうとします。

 

その途中に老ノ坂の道端の地蔵尊に「不浄なものを京に持ち込むな」と忠告されます。

すると、酒呑童子の首は、急にその場から動かなくなってしまいました。

そのため、源頼光たちは、この場所に酒呑童子の首を埋葬しました。

 

酒呑童子は死に際に、これまでの悪行を悔いて「首から上に病を持つ人」を助けることを望みました。

それ以後、この大明神は「首から上の病に効く」と言われるようになりました。

ちなみに、この老ノ坂は本能寺の変の際、明智光秀が通ったルートとも伝わります。

首塚大明神(くびづかだいみょうじん)

住所:京都府京都市西京区大枝沓掛町26-122

アクセス:JR保津峡駅から車で約20分

 

鈴鹿の鬼神 大嶽丸(おおたけまる)

大嶽丸(おおたけまる)は、三大妖怪のひとりとされている鬼であり、「鬼神」や「鬼神魔王」とも呼ばれました。

伊勢国(三重県)と近江国(滋賀県)の、国境にある鈴鹿山(すずかやま)を住処としていました。

 

大嶽丸の伝説は、室町時代のお伽草子「鈴鹿の草子」や、室町物語「田村の草子」に載っています。

また、江戸時代には奥浄瑠璃の代表的演目「田村三代記」になっています。

大嶽丸退治の話は、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)伝説として有名です。

 

大嶽丸の伝説内容

平安時代、桓武天皇の時代に伊勢国鈴鹿山に鬼神と呼ばれた大嶽丸という鬼がいました。

大嶽丸は、民衆を襲い、町で略奪を繰り返します。

 

桓武天皇の命を受けた坂上田村麻呂は、大嶽丸討伐のために鈴鹿山へと向かいます。

大嶽丸は、暴風雨や雷鳴、火の雨を降らせ、数年に渡り、坂上田村麻呂軍の足止めをします。

 

鈴鹿山に鈴鹿御前(すずかごぜん)という天女が、住んでいました。

鬼の大嶽丸は、鈴鹿御前にほれ込んでいました。

坂上田村麻呂は、天女の力を借り、大嶽丸を討ち取ることを決意します。

鈴鹿御前は大嶽丸を誘惑し、三明の剣(さんみょうのつるぎ)をだまし取り、坂上田村麻呂に渡しました。

 

正体を現した大嶽丸は十丈(3m)の鬼神となり、坂上田村麻呂めがけて、三百数の剣と矛を投げつけます。

坂上田村麻呂の両脇に立つ千手観音と毘沙門天が、全ての剣や矛を払い落とします。

大嶽丸は数千もの鬼に分身しますが、田村麻呂の放った数万の矢が大嶽丸を打ち抜きます。

 

坂上田村麻呂は「ソハヤノツルギ」を投げつけ、大嶽丸の首を落とし、勝利しました。

その後、大嶽丸は蘇りますが、再び陸奥国の岩手山で、坂上田村麻呂により討伐されました。

 

暴風雨、雷鳴、火の雨、分身、剣と矛、再生・・・。

大嶽丸の血鬼術、相当つよい・・・。

これは鬼滅の刃で言ったら、上弦の上位ナンバーを貰えますね。

 

善勝寺(ぜんしょうじ) 滋賀県東近江市

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滋賀県東近江市に、坂上田村麻呂が訪れた善勝寺(ぜんしょうじ)があります。

坂上田村麻呂は大嶽丸討伐後、この地を訪れ、寺を再興します。

そのとき、勝利にちなんで「善く勝った」ことから善勝寺へ改めました。

 

境内には討伐した大嶽丸を手厚く埋葬したという首塚があります。

猪子山の山頂に、北向岩屋十一面観音(きたむきいわや じゅういちめんかんのん)があります。

北向岩屋十一面観音は、善勝寺の奥の院とされています。

坂上田村麻呂が大嶽丸の討伐の際、十一面観世音菩薩の石像を安置して祈願したと伝えられています。

善勝寺(ぜんしょうじ)

住所:滋賀県東近江市佐野町909

アクセス:JR能登川駅から徒歩約20分

 

熊野の海鬼 金平鹿(こんへいか)

金平鹿(こんへいか)は、紀伊国熊野の海を住処とした鬼です。

文献によっては、海賊・多娥丸(たがまる)などとも記されています。

熊野灘の鬼の岩屋を本拠として住み、数多くの鬼共を部下にしていたと伝わります。

 

金平鹿の伝説内容

金平鹿が住処としている岩屋(鬼ヶ城)は断崖絶壁で近づきがたく、郷民は困っていました。

平安時代の平城天皇のころ、坂上田村麻呂は、鬼の金平鹿を討伐をするため、紀伊国に入ります。

坂上田村麻呂は、金平鹿のいる岩屋へと船を近づけます。

 

鬼の大将である金平鹿は、「田村麻呂は観音のご加護があるので、我々の神通力が効かない」と考えます。

金平鹿は用心深く、岩屋の石の戸を閉じ、岩屋の中にこもります。

坂上田村麻呂が困惑していると、沖の島に一人の菩薩のような童子が現れました。

 

童子は「私と一緒に舞いましょう」と坂上田村麻呂の軍勢に語り、舞を踊ります。

金平鹿は外の異変に気付き、石の戸を開けて、顔を出しました。

坂上田村麻呂は、その隙を逃さず、童子から授かった弓で矢を放ちます。

 

坂上田村麻呂が放った矢は、金平鹿に突き刺さりました。

大将を討たれた手下の鬼たち800人は、一斉に坂上田村麻呂に襲い掛かかります。

しかし、坂上田村麻呂が放つ千の矢によって、鬼たちはことごとく倒れました。

 

戦いが終わると、千手観音の化身だった童子は、光を放ち飛び去りました。

その後、童子が現れた島は「魔見るか島(魔見ヶ島)」と呼ばれ、現在に語り継がれます。

 

海沿いでの戦いは、迫力ありそうですね・・・。

熊野市内に泊観音【比音山清水寺(ひおんざんせいすいじ)】があります。

ここに坂上田村麻呂が、千手観音を安置し、泊観音を建立したと伝わります。

 

鬼ヶ城(おにがじょう) 三重県熊野市

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三重県熊野市に、鬼ヶ城(おにがじょう)はあります。

鬼の金平鹿が立てこもった岩屋があったため、鬼ヶ城と呼ばれるようになりました。

 

室町時代に有馬忠親(ありまただちか)が隠居城として、山頂に築城した城でもあります。

ユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部であり、日本百景にも選定されています。

鬼ヶ城(おにがじょう)

住所:三重県熊野市木本町1835

アクセス:JR熊野市駅で下車。バスで「鬼ヶ城東口」下車から徒歩約5分

 

大馬神社(おおまじんじゃ) 三重県熊野市

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三重県熊野市に、大馬神社(おおまじんじゃ)はあります。

坂上田村麻呂は、鬼ヶ城に住んでいた鬼・金平鹿を討伐しました。

大馬神社がある場所に、金平鹿の首を地中に埋め、その上に社殿を作りました。

 

ある日、智興和尚が社殿に参拝をしようと訪れます。

その時、大きな馬に乗った坂上田村麻呂の霊が目の前に現れました。

坂上田村麻呂の霊が、智興和尚を社殿へと案内したと伝わります。

 

この経緯から社殿は、大馬神社と呼ばれるようになったと言います。

名前の由来は他にもあり、愛馬を一緒に埋めたとか、大魔を封じた社(=大馬)となったとか諸説あります。

大馬神社(おおまじんじゃ)

住所:三重県熊野市井戸町4333

アクセス:JR熊野市駅から車で約15分

 

桃太郎の鬼 温羅(うら/おんら)

温羅(うら/おんら)は、岡山県南部の吉備(きびつ)地方に伝わる古代の鬼です。

この鬼の伝説は、室町時代末期に成立したとされています。

温羅の鬼退治が、あの有名な桃太郎の鬼退治のモデルになっています。。

 

温羅の伝説内容

温羅は異国から吉備に移り、鬼ノ城を拠点として、貢物や婦女子を略奪していました。

古墳時代、崇神天皇は、四道将軍のひとりである吉備津彦命(きびつひこのみこと)を派遣します。

吉備津彦命は温羅を退治するため、三名の豪族と共に、鬼ノ城に向かいます。

 

桃太郎のモデル:吉備津彦命(きびつひこのみこと)

犬のモデル:犬飼部犬飼武命(いぬかいべのいぬかいたけるのみこと)

猿のモデル:猿飼部楽々森彦命(さるかいべのささきもりひこのみこと)

鳥のモデル:鳥飼部留玉臣命(とりかいべのとめたまのおみのみこと)

 

吉備津彦命たちは、現在の吉備津神社がある場所に、本陣を構えました。

戦闘が始まり、吉備津彦命は矢を放ちますが、温羅はその都度、石を投げて矢を撃ち落とします。

今度は、二本同時に矢を射ったところ、温羅の左目を射抜きました。

 

すると温羅はキジや鯉に身を変え逃げますが、吉備津彦命も鷹や鵜に変化しながら追いかけます。

ついに吉備津彦命は、温羅を討ちとりました。

しかし、温羅の首は討ち取られても、生気があり、目を開け、唸り声をあげます。

 

吉備津彦命は、犬飼武命に命じて、首を犬に食わせ、温羅の首を骨としますが、それでも静まりません。

吉備津宮の釜殿にある竈の地中深くに骨を埋めましたが、13年間唸り声はやみませんでした。

ある日、吉備津彦命の夢の中に温羅が現れます。

 

温羅の妻・阿曽媛(あそひめ)に、釜殿の神饌(しんせん、みけ)=お供え物、を炊かせるよう告げます。

吉備津彦命は、そのように神事を行うと、温羅の唸り声は静まりました。

その後、温羅は吉凶を占う存在となったと伝わります。

 

桃太郎のモデルは岡山県のほか、愛知県にある桃太郎神社にも由来があるとされています。

 

鬼ノ城(きのじょう) 岡山県総社市

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岡山県総社市に、桃太郎の鬼ヶ島のモデルになった鬼ノ城(きのじょう)があります。

鬼ノ城は、岡山県総社市の鬼城山(きのじょうさん)に築かれた日本の古代山城です。

温羅伝説では、鬼の温羅(うら)が鬼ノ城を拠点としていました。

 

また、鬼ノ城周辺には、様々な温羅の伝承地があります。

温羅が人間を茹でたと伝わる「鬼の釜」

岩屋寺にある洞窟で、温羅が住んだ地とされる「鬼の岩屋」

鬼ノ城(きのじょう)

住所:岡山県総社市黒尾・奥坂

アクセス:JR総社駅から車で約30分

 

吉備津神社(きびつじんじゃ) 岡山県岡山市

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吉備津神社(きびつじんじゃ)は、岡山県岡山市にあります。

吉備津命は温羅退治の時に、この地を本陣をとしました。

吉備津神社の本殿および拝殿は、国宝に指定されています。

 

吉備津神社では、鳴釜神事(なるかましんじ)と呼ばれる神事をおこなっています。

鳴釜神事とは、釜を炊いた時に、音が鳴れば願いが叶うという占いです。

温羅の伝説にちなんで、鳴釜神事は生まれたのでしょうね。

 

音が聞こえたら、願いが叶うというものなので、聞こえなかったら軽くショックですよね。

吉備津神社に訪れたら、絶対にやりたいと思います。

吉備津神社(きびつじんじゃ)

住所: 岡山県岡山市北区吉備津931

アクセス:JR吉備津駅から徒歩約10分

 

白山神社(はくさんじんじゃ) 岡山県岡山市

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岡山県岡山市に白山神社(はくさんじんじゃ)はあります。

この白山神社に、温羅の首を晒していたと伝わります。

 

しかし、温羅の首は唸り声をあげ、その声が年々続いたため、吉備津彦命が、吉備津神社へと首を移しました。

白山神社がある地名は、いまでも首部(こうべ)と呼ばれています。

白山神社(はくさんじんじゃ)

住所:岡山県岡山市北区首部236

アクセス:JR備前三門駅より徒歩約30分

 

美濃の鬼人 関の太郎(せきのたろう)

美濃地方にある木曽川の支流・可児川の源流付近に、巨岩や奇石がありました。

関の太郎は、その岩窟を拠点としていた鬼です。

生まれは、西美濃不破の関の生まれであることから、関の太郎と呼ばれました。

 

関の太郎の伝説内容

鎌倉時代、関の太郎は、住民や東山道を行き交う旅人や、住人に悪行をおこなっていました。

この地に、地頭・纐纈源吾盛康(こうけつげんごもりやす)という武士がいました。

住民は纐纈源吾盛康に惨状を訴え、関の太郎を退治してもらうことにします。

 

しかし、纐纈源吾盛康は京にいたこともあり、家臣4名に関の太郎の討伐を命令しました。(後白河法皇の命とも)

家臣のたちは、関の太郎の討伐に苦戦し、蟹薬師(願興寺)に祈願しに行きます。

蟹薬師にて、家臣たちは「関の太郎が女装をし、祭礼に来る」とのお告げを聞きました。

 

お告げ通り、祭礼の日に関の太郎が現れ、家臣たちは関の太郎を捕らえ、首を斬ることができました。

家臣たちは、関の太郎の首を首桶に入れ、都へ運ぼうとします。

しかし、急に首桶が重くなり、動かすことができなくなります。

 

突然、首桶を縛っていたひもが切れ、桶から首が転げ落ちます。

家臣たちは仕方なく、その場に首を埋めることにしました。

現在、首塚がある地名を桶縄手と呼ばれています。

 

「東海道中膝栗毛」の作者・十返舎一九(じゅっぺんしゃいっく)は、この地で歌を残しています。

「桶縄手 今もその名を朽ちさりき 塩漬けにせし 鬼の首かも」

 

鬼岩公園(おにいわこうえん) 岐阜県瑞浪市

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鬼岩公園(おにいわこうえん)は、岐阜県瑞浪市にあります。

鬼岩公園の一帯の岩窟に、美濃の鬼・関の太郎は住んでいました。

 

公園内には、鬼の岩屋があり、関の太郎の像も立っています。

また、温泉があり、鬼岩温泉と呼ばれています。

鬼岩公園(おにいわこうえん)

住所:岐阜県瑞浪市日吉町

アクセス:JR瑞浪駅から車で約20分

 

鬼の首塚(おにのくびつか) 岐阜県可児郡

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鬼の首塚は、岐阜県可児郡御嵩町にあります。

鬼の関の太郎の首を埋めた場所です。

 

纐纈源吾盛康(こうけつげんごもりやす)の家臣たちは、都に関の太郎の首を運びます。

しかし、急に首が動かなくなり、この地に埋めたと伝わります。

鬼の首塚(おにのくびつか)

住所:岐阜県可児郡御嵩町中

アクセス:名古屋鉄道御嵩口駅から徒歩約10分

 

西日本の残忍な鬼 牛鬼(ぎゅうき/うしおに)

牛鬼(ぎゅうき/うしおに)は、西日本に伝承が多く、主に海岸に現れ、浜辺を歩く人間を襲っていた鬼です。

特徴として、非常に残忍で獰猛な性格、毒を吐き、人を食い殺すことを好むと伝わります。

 

頭が牛で首から下は鬼の胴体を持つ(頭が鬼で、胴体は牛の場合もある)。

江戸時代に書かれた「百怪図巻」では、牛の首をもち、蜘蛛の胴体を持った姿で描かれています。

 

各地の牛鬼伝説

三重県

南伊勢・五ヶ所浦(ごかしょうら)の洞穴に、牛鬼が住み着いていました。

五ヶ所城の城主・愛洲重明(あいすしげあきこう)が牛鬼を発見し、矢を放ち、牛鬼を討ち取ります。

 

しかし、その祟りで愛洲重明の正室は、不治の病となってしまいました。

その後、牛鬼の呪いで、愛洲氏は滅びたと伝わります。

 

和歌山県

西牟婁郡(にしむろぐん)の牛鬼淵(ぎゅうきがふち)には、牛鬼が住んでいたと伝わります。

牛鬼に遭遇すると、人間は病気になると言われていました。

 

岡山県

牛窓町(うしまどちょう)【現・瀬戸内市】に伝わる伝承

神功皇后(じんぐうこうごう)が三韓征伐の途中、塵輪鬼(じんりんき)という頭が八つの大牛姿の怪物に襲われます。

神功皇后は怪物を弓で矢を射て、退治に成功します。

塵輪鬼は頭、胴、尾に分裂し、それぞれ牛窓の黄島、前島、青島となったと伝わります。

 

高知県

ある村で家畜の牛が牛鬼に食い殺され、退治しようとした村人もまた食い殺されました。

弓の名手である武士・近森左近(ちかもりさこん)が牛鬼退治に出かけます。

近森左近の弓矢の一撃で、牛鬼を退治したと言います。

 

愛媛県

宇和島(うわじま)地方の牛鬼伝説は、牛鬼の伝承の中でも特に有名です。

牛鬼は、人や家畜を襲っており、喜多郡河辺村(現・大洲市)の山伏が牛鬼の退治を決行します。

牛鬼と対決した山伏は、ホラガイを吹いて真言を唱えたところ、牛鬼はひるみます。

 

山伏は牛鬼の眉間を剣で貫き、体をバラバラに斬り裂きます。

牛鬼の血は7日7晩流れ続け、その血が淵(ふち)となりました。

高知県土佐山、徳島県白木山、香川県根来寺に牛鬼淵(うしおにぶち)の名が残されています。

 

宇和島の和霊神社では、現在も「牛鬼まつり」が行われています。

 

また、この地方では、牛鬼の遺物が実在しています。

徳島県阿南市の賀島家には、牛鬼のものと伝わる獣類の頭蓋骨が、祠に安置されています。

賀島家の先祖が、地元の農民たちの依頼で牛鬼を退治し、その首を持ち帰ったと伝わります。

 

石垣山観音寺(いしがきざんかんのんじ) 福岡県久留米市

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石垣山観音寺(いしがきざんかんのんじ)は、福岡県久留米市にあります。

石垣観音寺には「牛鬼の手」と伝わるミイラがあります。

残念ながら、現在は非公開ということです。

 

石垣山観音寺の牛鬼伝説

平安時代、観音寺には、金光房然廓上人(こんこうぼうねんかくしょうにん)という住職がいました。

ある晩秋の真夜中に鐘の音が聞こえました。

その鐘の音が止むと、牛や馬が消え、村の娘や子供がいなくなり、村人は不安に怯えていました。

 

金光上人は、宝剣を持ち、その正体をつきとめることにします。

悪行をしていた正体は、頭は牛で体が鬼の姿をした牛鬼でした。

金光上人は、お経を唱え始めると、牛鬼は苦しみだします。

 

金光上人のお経と宝剣の力により、牛鬼は死に絶えました。

その後、村人たちは、牛鬼の首を京へ送り、牛鬼の手は観音寺に保存されます。

牛鬼の耳は付近の山に治め、それ以降「耳納山(みのうやま)」と呼ばれました。

 

牛鬼の手、生で見てみたいが、見たくない気持ちも・・・。

石垣山観音寺(いしがきざんかんのんじ)

住所:福岡県久留米市田主丸町石垣275

アクセス:JR田主丸駅より車で約10分

 

根香寺(ねごろじ) 香川県高松市

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根香寺(ねごろじ)は、香川県高松市にあります。

お遍路さんの四国八十八カ所の第82番札所としても有名です。

 

この根香寺には、「牛鬼の角」と伝わるものがあります。

こちらも残念ながら、現在、非公開です。

また、牛鬼の掛軸や銅像もあります。

 

根香寺の牛鬼伝説

青峰山(あおのみねさん)の山中に、牛鬼が住んでいました。

村では牛鬼は人間を食べる恐ろしい鬼と、怖がられていました。

村人は弓の名人・山田蔵人高清(やまだくらんどたかきよ)に、牛鬼退治を依頼します。

 

高清は青峰山に入り、牛鬼を探しますが、姿を見つけることができません。

困った高清は、根香寺の本尊である千手観音に17日間の祈願をします。

すると、21日目の満願の暁に、牛鬼が姿を現しました。

 

高清は矢を放ち、見事、牛鬼に命中します。

矢を受けた牛鬼はその場から逃げ、西の定ヶ渕で息絶えました。

高清は牛鬼の菩提を弔うため、角を切り、根香寺に奉納しました。

 

ちなみに、山田蔵人高清は、豊臣秀吉の朝鮮出兵に参加していました。

藩主・生駒親正(こまのちかまさ)に従軍して、朝鮮に渡っています。

根香寺(ねごろじ)

住所:香川県高松市中山町1506

アクセス:JR高松駅より車で約30分

 

鬼の遺物は存在している・・・。

上記で書いた牛鬼の手や牛鬼の爪のように、現在でも、鬼の遺物が残されている場所が各地にあります。

信じるか信じないかは別として、見てみたいと思うのは私だけでしょうか・・・。

場所によっては非公開のところもあるので、行かれる場合は事前にチェックが必要です。

では、鬼の遺物がある場所の一覧です。

 

鬼の遺物が存在する場所

・鬼の首:念興寺(岐阜県郡上市)

・鬼のミイラ:十宝山大乗院(大分県宇佐市)

・鬼の頭と片腕:村田町歴史みらい館(宮城県柴田郡)

・鬼の歯と爪:鬼骨寺(徳島県鳴門市)

・三面の鬼のミイラ:善光寺(石川県金沢市)

 

焼失したところ(写真が展示してある)

・鬼のミイラ:桃太郎神社(愛知県犬山市)

・鬼の子ミイラ:羅漢寺(大分県中津市)

 

おわりに・・・

現在でも、鬼の言葉を使ったことわざや故事があります。

鬼に金棒、心を鬼にする、鬼の首を取ったよう。

渡る世間に鬼はない・・・。

渡る世間と言われたら、正直、泉ピン子の顔がちらつきます・・・。

 

今回紹介した鬼の伝承のほかにも、鬼の伝説は全国各地にたくさんあります。

なぜ、こんなにもたくさんの伝説が残っているのでしょうか。

鬼がいたのか、いなかったのか・・・。

 

正直、私にはわかりません・・・。

 

ただ、ひとつ言えることは、「人間は誰だって鬼になってしまう可能性がある」ということです。

怒りや悲しみ、苦しみなどにより、心が鬼になってはいけません。

 

鬼滅の刃では、「復讐のためや、もっと強くなりたい、永遠に今の姿のままでいたい」

このような理由で、鬼になることを選んだ人たちがいます。

彼らは、本当の鬼になる前に、心がすでに鬼になってしまっていたのです。

炭治郎に斬られた鬼たちは、鬼になったことを後悔して死んでいきました。

 

「心が鬼になったら、おしまいです」

昔の人々は、鬼がいない平穏な暮らしを望みました。

現代の私たちは、平穏な心をもって、生きていきたいものです。

 

「鬼なんている訳ない」と思っていた、そこのあなた・・・。

鬼に興味を持ってしまったのではないですか?

もはや、あなたの週末の予定は、鬼の伝承地に行くことになっているでしょう・・・。

 

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