史跡巡り

【本徳寺・妙心寺】京都史跡巡り⑤【明智光秀・光慶】

どうも、うめたろうです。

京都史跡巡りの旅、第五弾です。

三日目の最終日は、京都市内を巡ります。

 

京都市は、明智光秀終焉の地です。

京都市内を巡る前に、どうしても行きたい場所が大阪にありました・・・。

ということで、朝はやくにホテルを出発して、大阪は岸和田市に向かいました。

 

本徳寺(ほんとくじ) 明智光秀肖像画所蔵 大阪府岸和田市

 

京都プラザホテルから、車で1時間ちょっとで、大阪の岸和田市に着きました。

コインパーキングに車を停め、徒歩で目的地に向かいます。

この辺りは、かじやまちと言い、岸和田城の城下町でした。

 

 

2011年の朝ドラ「カーネーション」のロケ地にもなったようです。

岸和田が舞台のドラマだったんですね。

朝ドラは、全く見ないからわかりません・・・(笑)。

 

 

目的地の本徳寺(ほんとくじ)に到着しました。

明智光秀を語るには、ハズせないお寺です。

 

 

本徳寺には、あの有名な明智光秀の肖像画を所蔵しています。

もちろん肖像画は非公開ですが・・・。

2020年は「麒麟がくる」の放送中ということもあり、各地の博物館などに出展していました。

 

うめたろうは、岐阜の歴史博物館で、実際に本物を見ることができました。

レプリカだと、もっと見るチャンスは増えるかもしれません。

 

 

本徳寺には、明智光秀の伝承があります。

本徳寺は、明智光秀の肖像画だけでなく、光秀の位牌も所蔵しています。

その位牌には、明智光秀が本徳寺を開基したと解釈できる文字が書かれています。

 

明智光秀は、岸和田に落ち延び、本徳寺で修行僧になった可能性も・・・。

また、本徳寺を開基したのは、南国梵桂(なんごくぼんけい)という僧でした。

国梵桂は、光秀の嫡男・明智光慶(みつよし)ではないかと言われています。

 

 

残念ながら、お寺は非公開で中に入ることはできません。

門の外から眺めるしかありません・・・。

 

 

去年から、明智光秀の足跡を追ってきました・・・。

明智光秀の伝説がある本徳寺は、どうしても来たかったのです。

 

明智光秀、明智光慶が過ごした可能性があるこの地を生で見ることができ、感無量です。

本徳寺に満足したうめたろうは、岸和田城を目の前にしながら、次の目的地に向かいました。

 

明智光秀の伝説はこちら

明智光秀は天海だったのか?

続きを見る

 

光秀寺(こうしゅうじ) 明智光秀ゆかりの寺 大阪府高石市

 

岸和田市の本徳寺から車で20分、高石市にある光秀寺(こうしゅうじ)に着きました。

高石駅近くのコインパーキングに車を停めて、徒歩で来ました。

光秀寺にも、明智光秀に関する伝承が残っています。

 

 

光秀寺の前身である蓮正寺は、和泉大津市にありました。

蓮正寺の住職・仁海上人は、境内に助松庵という庵を建てます。

 

この助松庵に明智光秀が、隠棲したと言われています。

助松庵がこの地に移転し、光秀寺と名を変えたそうです。

 

 

明智光秀の桔梗紋が、しっかりと飾られていました。

明智光秀は、大阪の地に潜伏していた可能性が・・・。

 

 

「光秀公縁の寺」と入った石碑がありました。

生前の明智光秀が大阪と関係が深いことは、あまり聞いたことがありません。

やはり、明智光秀は生きていたのでしょうか・・・。

 

 

瓦にも光秀の光の文字が・・・。

これは誰が見ても、明智光秀に関連がある寺ですね・・・。

 

 

本徳寺同様、光秀寺にも柵があり、境内に入ることはできませんでした。

時々、柵が開いている時もあるみたいです。

タイミングが合えば、境内にお邪魔できるかもしれません。

 

妙心寺(みょうしんじ) 明智風呂 京都府京都市右京区

 

大阪から京都市内に戻ってきました。

京都市内最初の目的地である妙心寺(みょうしんじ)に到着しました。

妙心寺には無料駐車場があり、そこに車を停めました。

 

 

妙心寺は、40以上の塔頭があり、広大な敷地を持つお寺です。

めちゃくちゃでかい・・・。

これを全部見学しようもんなら、一日使っちゃいますね。

 

 

妙心寺は、その広大な敷地から、西の御所と呼ばれているようです。

また、戦国時代の武将と関連した塔頭が多く存在します。

福島正則、前田玄以、伊達政宗、脇坂安治、堀尾吉晴、真田信之・・・。

 

 

寿聖院には、石田三成の息子が出家したとの伝承もあります。

鳳凰院の開山堂には、織田信長・信忠のお墓(非公開)があります。

そして・・・もちろん明智光秀に関するものもあります。

 

 

こちらは、妙心寺の仏殿です。

明智光秀は、本能寺の変の後、妙心寺を訪れました。

織田信長討伐という目的を達成した明智光秀は、自刃を覚悟したと言います。

 

仏殿に礼拝した明智光秀は、辞世の句を唱えます。

それを見た明智光秀の叔父・密宗(みっそう)和尚が、光秀を諫めたと伝わります。

 

 

こちらが妙心寺の浴室・明智風呂です。

1587(天正5)年、明智光秀の叔父である大嶺院の密宗和尚が創建しました。

明智光秀の死の5年後に、光秀の菩提を弔うため、この浴室を設けました。

 

 

明智風呂は、昭和の初め頃まで、実際に使用されていました。

基本非公開ですが、期間限定で公開されることもあります。

 

 

「和泉伝承誌」には、小栗栖で負傷した明智光秀が妙心寺に姿を現し、その後、大阪の和泉に向かったとあります。

また、明智光秀の嫡男・明智光慶は、妙心寺の瑞松院(廃寺)の住職となり、玄琳(げんりん)と名乗りました。

その後、玄琳は、南国梵桂と名前を変え、岸和田の本徳寺を開基したという伝承があります。

 

 

妙心寺も本徳寺同様、明智光秀を語るには、欠かせないお寺です。

戦国武将にゆかりがあるお寺だけに、明智光秀が訪れた可能性は高いのではないでしょうか。

それにしても、敷地が広すぎて、受付に向かう時、少し迷いました(笑)。

 

真如堂(しんにょどう)【真正極楽寺】 斎藤利三の墓 京都府京都市左京区

 

妙心寺から車で約30分、次の目的地である真如堂(しんにょどう)に着きました。

真如堂のすぐ隣には、新選組発祥である有名な金戒光明寺がありました。

この辺りは道が細いため、大通りのコインパーキングに車を停めて、徒歩で来ました。

 

 

真如堂は、国宝や多くの重要文化財を所蔵しています。

こちらの本堂も重要文化財です。

近年では、紅葉の名所としても有名なお寺です。

 

 

真如堂に来た目的は、明智光秀の重臣・斎藤利三のお墓を見るためです。

この先にお墓があるんですが・・・、墓地がめちゃくちゃ広くて迷いました。

最初、この看板を見つけられず、違う入口から墓地に入ったせいで、さまようことに・・・。

 

まずは、本堂の横にあるこの看板を探しましょう。

この看板を真っ直ぐ進めば、斎藤利三のお墓があります。

 

 

こちらが斎藤利三のお墓です。

藤利三は、明智光秀の家臣であり、明智秀満と並ぶ筆頭家老として、明智光秀を支えました。

山崎の戦い後、大津市の堅田で捕縛され、市中引き回しのうえ、六条河原で斬首となりました。

 

 

斎藤利三のお墓の隣には、絵師の海北友松(かいほうゆうしょう)のお墓があります。

海北友松は、斎藤利三と親交が深かったようです。

真如堂の住職・東陽坊長盛(とうようぼうちょうせい)と共に、斎藤利三の遺骸を奪い取り、真如堂に葬りました。

 

大切な友人のために、危険を冒して遺体を奪う・・・、素晴らしいことです。

斎藤利三は、明智光秀に忠義を尽くし、主君と共に生涯を閉じました。

明智光秀の家臣の史跡はあまりないので、貴重な史跡のひとつです。

 

二条殿跡(にじょうでんあと)【二条新御所・二条御新造】 織田信忠自刃 京都府京都市中京区

 

真如堂から車で約15分、二条殿跡(にじょうでんあと)に到着しました。

もちろん駐車場などないどで、近くのコインパーキングに車を停めました。

 

二条殿(二条新御所)があった場所は、現在、京都国際マンガミュージアムが建っています。

この石碑は、両替町通り沿いのマンガミュージアムの裏側に建っています。

 

 

二条新御所は、織田信長が誠仁親王(さねひとしんのう)に献上した邸宅でした。

本能寺の変の際、信長の嫡男・織田信忠は、妙覚寺にいました。

父の死の知らせを聞いた織田信忠は、明智光秀を迎え撃つべく、二条新御所に籠城します。

 

 

しかし、明智軍の攻撃により追い詰められた織田信忠は、その場で自刃を果たしました。

父の織田信長同様、信忠の首は、明智光秀に渡ることはありませんでした。

 

織田信忠は、京都から脱出できる可能性があったと言われています。

実際に信長の弟・織田有楽斎は、二条新御所から脱出に成功しています。

しかし、織田信忠は、織田家の2代目当主として、逃げることはせず、最後まで誇りを見せたのでした・・・。

 

織田信忠の最後はこちら

【終焉・本能寺の変】織田信長ゆかりの地【戦い⑧】

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おわりに・・・

京都史跡巡りの最終日は、朝一番から大阪に向かいました。

岸和田市にある本徳寺、高石市にある光秀寺に訪れました。

 

本徳寺は、明智光秀を追ってきた史跡巡りの旅には、どうしても外せませんでした。

光秀寺も名前からして、絶対に行かなきゃいけない寺でした。

 

本音は、京都とセットじゃなくて、時間がある時に行きたかったんですが・・・。

岸和田城や世界遺産になった仁徳天皇陵古墳とセットで。

 

京都市内では、妙心寺、真如堂、二条殿跡を巡りました。

妙心寺の明智風呂には、期間限定の公開日を狙って、いつか建物内を見たいと思います。

真如堂は、とても静かなお寺で、あそこなら斎藤利三も安らかに眠れるでしょう。

 

二条殿跡の史跡は、正直、寂しいですね・・・。

織田信長同様、信忠の死も重要な事件なので、もう少し何かあったらな・・・。

 

ついに、次回で京都史跡巡りの旅は最後となります。

最後は、織田信長と明智光秀の終焉の地を巡ります。

 

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