史跡巡り

【丹波亀山城・谷性寺】京都府史跡巡り②【明智光秀】

どうも、うめたろうです。

京都府史跡巡りの旅、第二弾です。

前回は、京都の宮津市を訪れました。

 

今回は、亀岡市を中心に巡りました。

明智光秀の居城・丹波亀岡城の登場です。

 

谷性寺(こくしょうじ) 明智光秀の首塚 京都府亀岡市

 

宮津市の盛林寺から、車で1時間程で、亀岡市にある谷性寺(こくしょうじ)に到着しました。

駐車場は谷性寺の境内の隣に、数台停めるスペースがありました。

 

しかし、そこまでに行く道がかなり狭いため、併設する「ききょうの里」の駐車場に駐車しました。

「ききょうの里」の駐車場から谷性寺までは、歩いて5分程です。

 

 

谷性寺の境内には、「明智光秀の首塚」があります。

明智光秀の首塚は京都府に3つあり、盛林寺、京都の東山、そして谷性寺です。

 

 

こちらは、谷性寺の本堂です。

谷性寺では、明智光秀が崇敬していた不動明王をご本尊としています。

通常非公開ですが、明智光秀の木像が安置してあります。

 

 

こちらが、「明智光秀の首塚」です。

説明版には、明智光秀の首がこの地に辿り着いた経緯については書いてありませんでした。

言い伝えによると、小栗栖で斃れた明智光秀を、重臣・溝尾茂朝が介錯をしました。

 

 

溝尾茂朝は、部下に明智光秀の信仰があった谷性寺に首を運ぶよう指示をしました。

その後、溝尾茂朝は主君を追い、その場で自刃したと伝わります。

 

 

こちらは、明智門です。

この門は、亀山城の近くにあった西願寺から移築された門です。

 

 

敷地はそれほど広くはなく、コンパクトなお寺です。

盛林寺に続き、人は誰もいませんでした。

 

 

こちらは、谷性寺のすぐ隣に併設している「ききょうの里」です。

園内には5万株の桔梗が植えられ、毎年6月頃に桔梗の花を見ることができます。

この時期は残念ながら、桔梗の花は咲いていません。

 

 

こちらは、明智光秀の騎馬像です。

ききょうの里の入口からすぐのところに、明智光秀の騎馬像があります。

 

 

騎馬姿は、かっこいいですね~。

桔梗の家紋のところだけ、黄色になっています。

 

ダイコクバーガー 人気のハンバーガー店 京都府亀岡市

 

亀岡市の中心地にやってきました。

ここでランチタイムにしたいと思います。

ランチをするお店は、「ダイコクバーガー」です。

 

 

ダイコクバーガーは、亀岡市でかなり有名なお店のようです。

関西のTV番組も取材に来ていますね。

 

 

店内に入ると、こち亀の両さんを発見!!

なぜ両さん・・・?

 

 

どうやら、こち亀の作者・秋元治先生の「ファインダー~京都女学院物語~」という漫画の舞台になったお店のようです。

亀岡の町を舞台にした漫画なんですね。

初めて秋元治先生の生サイン見ました。

 

 

こちらが「ビーフ100パーセントWチーズバーガー」と、ポテト・ドリンクのセットです。

料金は1240円!!

こちらのハンバーガーは、関西の大会で3年連続バーガーグランプリを受賞したハンバーガーです。

 

 

カマンベールチーズとチェダーチーズのWチーズです。

お値段はそこそこしますが、これは食べる価値ありですね。

おいしくいただきました!

 

丹波亀山城跡(たんばかめやまじょうあと) 明智光秀築城 京都府亀岡市

 

昼食を食べ終え、初日のメインである丹波亀山城に向かいます。

亀岡に亀山、市の名前は亀岡なのに亀山城・・・。

 

たまに、亀岡城って言い間違えてしまう・・・。

前から思っていましたが、かなりややこしいですよね。

三重県にも亀山市があって、亀山城があるし・・・。

 

 

どうやら、京都の亀岡は昔、「亀山」と言う地名だったそうです。

明治の廃藩置県によって、三重県の亀山市と混同しないように、名称を亀岡に変更したようです。

 

 

亀岡と亀山の文字で頭がいっぱいになっていたら、入り口に着きました・・・。

現在、亀山城跡の敷地は、宗教法人「大本」が管理しています。

 

亀山城を見学するには、大本のみろく会館で受付が必要です。

見学には、ギャラリーおほもとの入館券が必要になります。

拝観料は300円です。

 

 

一階の受付で亀山城跡の説明をしてもらい、二階で亀山城の映像を見ました。

見学者とわかるように、シールをもらいます。

もらったシールをカバンに貼って、城跡に向かいました。

 

 

こちらは大名たちが残した天下普請(てんかぶしん)の刻印です。

菱形のマークが見えますね。

 

徳川家康の命令により、天下普請で完成した亀山城は、多くの西国大名が動員されました。

石垣普請を担当した諸大名が、担当したことを示すために刻んだものです。

 

 

復元された天守石垣の下から3分の1が、明智光秀築城当時の穴太(あのう)積みの石垣です。

苔がいい感じで生えてますね~。

 

時代を経て、戦国時代のモノが現代でも見れることが、改めてすごいなと思いますね。

しかも、明智光秀が見ていた石垣を、自分も見ていると思うと興奮する・・・。

 

 

明智光秀は、亀山城を拠点とし、丹波攻略を行いました。

当時は、他の丹波の城とは違い、3層の天守があったと伝わります。

その後、藤堂高虎により、5層の天守がつくられました。

 

 

以前は、この階段の上には行けなかったようです。

現在は、入館料を払えば上に行けるようになっています。

この上には、「明智光秀手植えと伝わるイチョウの木」がありました。

 

 

初代のイチョウは、江戸時代中期に台風で倒れてしまいました。

その後、後継ぎに若木を植えて現代に至ります。

 

 

明智光秀は、この亀山城から本能寺に向かいました。

本能寺の変のスタート地点です。

明智光秀は相当な覚悟で、亀山城を出発したのでしょうね・・・。

 

 

こちらは、江戸時代以前からある井戸跡です。

明智光秀も見ていたのでしょうか。

 

南郷公園(なんごうこうえん) 明智光秀の銅像 京都府亀岡市

 

亀岡城のすぐ隣にある南郷公園にやってきました。

南郷公園には駐車場がないので、近くのコインパーキングに停めましょう。

 

 

平日の真っ昼間だったのですが、釣りをしている方たちを多く見かけました。

釣りスポットになってるんですね。

 

 

一番驚いたのが、出張カキ小屋があったことです。

公園にカキ小屋を見たことは、人生初かも(笑)。

恐るべし亀岡!!

 

 

こちらは、亀山城跡の石碑です。

先程の亀山城跡には石碑はなかったので、こちらにあったんですね。

 

 

こちらが、明智光秀の銅像です。

この銅像は、2019年に建てられました。

 

 

2019年は、亀山が亀岡に改名してから150年の節目の年でした。

また、2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公は明智光秀。

2つの記念に、明智光秀の銅像が建てられたようです。

 

 

立派な銅像ですね~。

岐阜県にある明智城跡の銅像もカッコイイのですが、こちらもかなりカッコイイです!

(坂本城跡の銅像はカッコイイと言うより、かわいい・・・)

 

 

明智光秀の両サイドにシャチホコの銅像があります。

シャチホコの下には・・・。

 

 

亀山城の天守の絵が刻まれていました。

こちらは、明智光秀の銅像以前からあります。

 

篠村八幡宮(しのむらはちまんぐう) 明智光秀、謀反を打ち明ける 京都府亀岡市

 

南郷公園から車で約10分、篠村八幡宮に到着しました。

篠村八幡宮の駐車場は、神社の裏側に広い駐車場があります。

 

 

「光秀行状記」によると、本能寺襲撃のため、亀山城を出発した明智光秀は、篠村八幡宮に立ち寄ります。

明智光秀は篠村八幡宮で、重臣たちに初めて謀反をすることを打ちあけたと書かれています。

敵は本能寺にあり・・・、と斎藤利三たちに伝えたのでしょうか。

 

 

打ち明けられた斎藤利三や明智秀満たちは、さぞかし驚いたでしょう・・・。

しかし、主君にその覚悟があるのなら、家臣はついていくしかありません。

彼らはこの地で、明智光秀に命を預けたのです。

 

 

偶然にも明智光秀同様、この地で謀反を決意して、行動に移した人物がいました・・・。

その人物とは・・・、鎌倉幕府を倒し、新たな武家政権を作った足利尊氏でした。

 

足利尊氏は、鎌倉幕府から西国の反勢力を鎮圧するため、上洛をしていました。

しかし、後醍醐天皇の誘いを受け、ここ篠村八幡宮で打倒幕府の兵を挙げたのです。

足利尊氏は幕府の六波羅探題を攻め、壊滅に成功したのでした。

 

 

こちらは矢塚です。

足利尊氏は倒幕の戦勝祈願の願文を読み、一本の矢を奉納しました。

 

それを見た配下の武将たちは、足利尊氏に続き、矢を一本づつ奉納していきました。

矢が塚のように高く積み上げられたのがこの場所と伝わります。

 

 

境内のすぐ側には、旗立楊(はたたてやなぎ)があります。

足利尊氏が味方武将に所在を知らせるため、「二引両」の家紋入りの旗を掲げた楊と伝わります。

 

 

明智光秀も足利尊氏同様、源氏の流れを汲む家系です。

明智光秀はこの地で、足利尊氏が挙兵したことを知ってたのかもしれません。

 

征夷大将軍となった足利尊氏にあやかって、ここ篠村八幡宮で謀反を打ちあけた・・・。

この地に来ると、そんな妄想が膨らみます。

 

 

なぜか相撲の土俵がありました。

どうやら、子供相撲の大会などで利用しているようです。

神社に土俵があるなんて、初めて見た・・・。

 

京都プラザホテル本館 宿泊地 京都府京都市

 

篠村八幡宮から車で40分、今回の宿泊地に着きました。

今回の宿泊地は、京都プラザホテルの本館です。

宿泊費は駐車場代込みで、2泊で1万円です。

 

 

朝食付きで、大浴場もあると考えると、かなりお得の料金です。

京都市のホテルは、駐車場代がどこもかかるのですね。

初めて車で京都市内に泊まるので、少し驚きました。

 

新福菜館(しんぷくさいかん)本店 行列ができるラーメン店 京都府京都市

 

ホテルで休憩し、夕食を食べるため、京都駅に繰り出しました。

夕食は、京都で行列ができるラーメン屋「新福菜館(しんぷくさいかん)本店」です。

 

新福菜館のすぐ隣にも、人気店「本家第一旭本店」があったので、正直どちらに入るか迷いました。

しかも、どちらも人が並んでいない・・・。

 

 

しかし、この見た目のインパクトの強さに、新福菜館を選びました。

ラーメンとチャーハンが・・・、黒いっ!!

見た目に寄らず、味もそんなに濃くなく、とてもおいしかったです。

 

おわりに・・・

今回は、亀岡市の明智光秀の史跡を周りました。

亀岡市は、それぞれの史跡が近くにあり、周りやすかったです。

 

前回、亀岡を訪れた時に、「麒麟がくる」の大河ドラマ館に行っとけばよかった・・・。

緊急事態宣言の間に閉館してしまいましたからね・・・、残念。

 

亀山城を拠点とし、丹波を平定した明智光秀。

その功績により明智光秀は、織田政権の中で確固たる地位を築きました。

 

そして、この亀岡で主君である織田信長討伐を決めた・・・。

まさに亀岡の地は、明智光秀の人生にとって、運命を変えた町でした。

 

そんな明智光秀に、急接近する人物がいました。

明智光秀同様、織田信長に信頼されていた家臣・・・。

その人物とは・・・、羽柴秀吉でした。

 

羽柴秀吉は、主君の仇を取るため、明智光秀に戦いを挑みます。

次回は、二人の戦いの地である、「山崎の戦い」の古戦場を巡ります。

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