史跡巡り

【明智神社・一乗谷朝倉氏遺跡】福井県の史跡巡り④【織田信長・明智光秀ゆかりの地】

どうも、うめたろうです。

今回は、福井県史跡巡りの二日目後半です。

 

前回に引き続き、越前市内からスタートです。

天気は、あいかわらずの雨・・・。

 

小丸城跡(こまるじょうあと) 佐々成政の居城 福井県越前市

 

最初の目的地は、小丸城跡(こまるじょうあと)です。

1575(天正3)年、織田信長は越前一向一揆を平定します。

その後、家臣の柴田勝家に、越前国を与えました。

 

柴田勝家の与力として、越前国の府中を治めたのは、「府中三人衆」と呼ばれた三人の武将でした。

 

府中三人衆(ふちゅうさんにんしゅう)

・不破光治(ふわみつはる) 龍門寺城

・前田利家(まえだとしいえ) 越前府中城

・佐々成政(さっさなりまさ) 小丸城

 

 

小丸城は、佐々成政によって城築されました。

しかし、1581(天正9)年、佐々成政は、越中国(富山県)に移封されます。

佐々成政が小丸城にいたのは、たった6年余りでした。

 

 

小丸城跡は、城の遺構がしっかりと残っています。

石垣の上に、橋のように架かっている石がありました。

これは、一体、なんだろうか・・・。

 

 

個人的に気になったのが、城の石碑が3つもあったことですね。

小丸城のアピール・・・、結構強めです(笑)。

あと、マムシ注意の看板もあり、確かに出没しそうな雰囲気はありました。

 

万葉の里 味真野苑(あじまのえん)万葉資料館 小丸城出土の瓦 福井県越前市

 

小丸城を後にしたうめたろうは、次の目的地である「万葉の里 味真野苑(あじまのえん)」に向かいました。

舞台は奈良時代、平城京から味真野に流された中臣宅守(なかとみのやかもり)。

都で宅守を思う挟野弟上娘子(さののおとがみのおとめ)。

 

味真野は、二人の恋の歌の舞台となっています。

これらの歌は、日本最古の和歌集・万葉集に残されています。

 

 

正直、和歌とか俳句は、まったく興味がありません・・・。

では、なぜ「万葉の里」に来たのか。

それは資料館(万葉館)に、小丸城から出土した瓦を見るためでした。

 

 

現在、資料館にある瓦は、複製品です。

以前は本物が展示されていたようですが・・・。

劣化が原因でしょうか?

 

この瓦には、ある文字が刻まれています。

「前田利家が、越前一揆衆を千人ばかり磔にしたり、釜で煎(い)り殺した」

前田利家が、越前一向一揆殲滅の後処理をしたことが記されています。

 

織田信長に逆らうことは、こうなるという見せしめでしょうか。

恐ろしいです・・・。

 

 

瓦の隣には、北国の豪勇・真柄直隆がいました。

もしかして、等身大の人形ですかね・・・。

こんなでかい武士が向かって来たら、逃げますね・・・。

 

真柄直隆の誕生地とお墓はこちら

【劔神社・龍門寺城跡】福井県の史跡巡り③【織田信長・明智光秀ゆかりの地】

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こちらは、苑内にある「旧谷口家住宅」です。

旧谷口家住宅は、重要文化財に指定されており、1808(文化5)年に建築されたと伝わります。

 

 

江戸時代の農家の民家であり、中に入ることができます。

当時の雰囲気を味わえる建物でした。

 

越前一向衆徒首塚跡(えちぜんいっこうしゅとくびづかあと) 福井県越前市

 

旧谷口家住宅のすぐ近くには、一向衆徒の首塚跡があります。

旧谷口家住宅から、道路を挟んだ向かい側に建っています。

織田軍の越前一向一揆の殲滅戦では、千人程の一揆衆が犠牲になったと伝わります。

 

 

戦後、一向宗の僧侶200人は、日野川原で処刑されました。

その僧侶たちの首の骨を埋葬し、ここに首塚を立てました。

 

明智神社(あけちじんじゃ) 明智光秀屋敷跡 福井県福井市

 

次の目的地は、大河ドラマ「麒麟がくる」の主人公・明智光秀ゆかりの地です。

こちらは、明智神社(あけちじんじゃ)

近くに臨時駐車場がつくられており、そちらに車を停めさせてもらいました。

 

 

この明智神社は、明智光秀が朝倉氏に身を寄せていた時に住んでいた屋敷跡です。

明智光秀の娘・細川ガラシャの生誕の地でもあります。

また、一向一揆討伐の際、明智光秀は柴田勝家らに安堵状を出してもらいました。

 

そのおかげで、織田軍から村が救われました。

その後、明智光秀を慕う東大味(ひがしおおみ)の村民によって、明智神社は守られてきました。

 

 

うめたろうが明智神社を訪れたのは、今回で二回目でした。

初めて明智神社を訪れたのは、10年程前です。

今でこそ、大河ドラマで注目を浴びていますが、当時はひっそりと建っていたイメージがありました。

 

資料館に「明智光秀を大河ドラマの主人公に!」という、署名帳が置いてあったのを覚えています。

当時は、「主家を殺した謀反人が、主人公はきびしいのでは?」と思っていました。

でも、今年、地元の方の念願の夢が叶いましたね。

 

 

資料館の中には、明智光秀に関するVTRが流れていたり、ゆかりの地の資料がありました。

また、大河ドラマのポスターが貼られていました。

 

明智光秀は、ここから朝倉義景がいる一乗谷に通っていたのでしょうか。

この地から飛躍し、明智光秀は世に名を残すことになりました。

 

一乗谷朝倉氏遺跡(いちじょうだにあさくらしいせき) 朝倉氏の拠点 福井県福井市

 

二日目、最後の目的地である一乗谷に向かいます。

明智神社から車で15分程で、「一乗谷朝倉氏遺跡」に到着します。

一乗谷朝倉氏遺跡は、戦国時代の城下町の跡が残っています。

 

約400年以上にわたり、この地に埋もれていました。

現在では、城下町の武家屋敷や町屋が、200メートルに渡り復元されています。

入場料は、大人一人220円です。

 

 

明智神社同様、10年振りに訪れました。

こちらは、当時とあまり変わったイメージはなかったです。

 

山と山に囲まれた山間部の雰囲気は、相変わらず抜群に良いですね。

歩いているだけでも、自然を感じることができ、癒されます。

 

 

当時の町屋の暮らしが、再現されています。

一つ一つの町屋に、工夫が施されており、見応えがあります。

 

 

武家屋敷には、ガイドさんがおり、色々お話をしてくれました。

熱田神宮にある、真柄直隆の刀の写真です。

でかい・・・。

 

 

一乗谷朝倉氏遺跡は、2019年に日本遺産にも認定されています。

復元された町並みに満足したうめたろうは、朝倉館跡に向かいます。

朝倉館跡は、町並みから川を挟んだ、向かい側にあります。

 

 

一乗谷朝倉氏遺跡のシンボルである唐門です。

この唐門は、江戸時代に建てられました。

朝倉義景の菩提を弔うために、建てられたと伝わります。

 

 

こちらは、朝倉館跡です。

朝倉氏5代当主・朝倉義景は、この朝倉館に暮らしていました。

 

15代将軍・足利義昭を迎えた際には、この地で儀式や宴会が行われました。

大河ドラマ「麒麟がくる」でも、その場面がありました。

 

 

こちらは、朝倉義景の墓所です。

朝倉義景のお墓は、福井県大野市にもあります。

 

 

一乗谷の城下町には、数多くの庭園が存在しました。

当時の庭園を良く伝えている4つの庭園は、国の特別名勝に認定されています。

 

 

復元町並みから車で5分程で、一乗谷朝倉氏遺跡資料館に到着します。

こちらの資料館では、発掘調査で遺跡から出土した遺物が、展示されています。

 

 

こちらは、朝倉館復元模型です。

館内で唯一、写真がオッケーでした。

 

 

エントランスホールでは、大河ドラマ「麒麟がくる」展が、開催されています。

麒麟がくる展は、2020年11月30日までの開催とのことです。

小道具やパネル、衣装が展示されていました。

 

 

お馴染みの顔ぶれです。

朝倉義景演じる、ユースケサンタマリアさんのパネルはないですね・・・。

 

 

資料館を見学したあとは、遺跡に再び戻ります。

こちらは、朝倉景鏡(あさくらかげあきら)館跡です。

 

朝倉家滅亡のキーマンでもあった朝倉景鏡の館跡は、チェックをしときたいですね。

朝倉景鏡の館は、朝倉義景に次ぐ、広さだったようです。

 

 

最後の遺跡は、安養寺跡(あんようじあと)です。

安養寺には、15代将軍・足利義昭が、9か月間滞在をした場所です。

 

 

こちらが、御所跡ですね。

この地に足利義昭がいたと思うと、感慨深いです。

ちょうど日が暮れてきたので、二日目の史跡巡りはここで終了です。

 

ふくしん ソースカツ丼 福井県福井市

 

夕食を食べるため、うめたろうは福井市内に戻りました。

福井県と言ったら、ソースカツ丼・・・。

ソースカツ丼の有名店と言えば、「ヨーロッパ軒」が有名ですね。

 

ヨーロッパ軒には、過去に何度も行っています。

今回は、ヨーロッパ軒に並ぶ人気店、「ふくしん」さんにお邪魔しました。

 

 

福井駅から車で、約15分程のところにあります。

土日祝日は、行列ができると聞きます。

うめたろうが訪れたのは、平日だったので、すんなり入店できました。

 

 

注文したのは、「カツ丼大 1100円」です。

見てください・・・、このボリューム!!

カツが4枚も入っています。

 

ヨーロッパ軒との違いを伝えたかったのですが、ヨーロッパ軒の味を覚えていない・・・。

とにかく、おいしかったです・・・(笑)。

ごちそうさまでした。

 

おわりに・・・

初日と違い、山城がひとつもなかったので、体力的にはかなり楽に巡ることができました。

一乗谷は「一乗谷城の戦い」で、織田軍により火を放たれ、灰となりました。

織田軍の圧倒的な強さに、朝倉義景は一乗谷城を捨て、大野市に逃げ込みます。

 

一乗谷城は、一度も戦いに使われることなく、廃城となりました。

その後、越前を支配した柴田勝家は、水運や陸運に便利な北ノ庄を本拠地としました。

 

そのため、一乗谷はそのまま辺境の地となりました。

そのおかげで、遺跡がそのまま残っているのでしょう。

 

広大な自然に囲まれた一乗谷には、とても癒されました。

何回来ても良いものですね。

ぜひ、明智神社とセットで訪れることをお勧めします。

 

次回は、うめたろうが一番楽しみにしていた平泉寺の登場です。

第五弾に続く・・・。

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