史跡巡り

【黒井城】京都府・兵庫県史跡巡り⑥【赤井直正・明智光秀】

どうも、うめたろうです。

京都府・兵庫県の史跡巡り、最後の目的地です。

 

丹波の山城・黒井城跡に登ります。

明智光秀を苦しめた、赤井直正の居城・黒井城です。

 

黒井城跡(くろいじょうあと) 赤井直正居城 兵庫県丹波市

 

金山城跡から車で約20分で、黒井城跡に着きます。

観光者用駐車場に到着しました。

この駐車場は、20台くらい車を停めることができます。

 

 

こちらは、駐車場の隣にある「春日局庵(かすがのつぼねあん)」です。

春日局は、黒井城の麓にある興禅寺(こうぜんじ)で、生誕したと伝わります。

 

 

中に入ると、赤井直正と明智光秀のパネルがありました。

また、黒井城や興禅寺のパンフレットも、数多くあります。

建物の隣には、トイレも併設しています。

 

 

こちらは、丹波市春日町黒井の地図です。

目の前の興禅寺は後に行くとして、先に黒井城跡を目指します。

春日局庵から徒歩5分ほどで、黒井城跡の入り口に着きます。

 

 

黒井城跡の入口に到着しました。

実は、この石碑の後ろにも、駐車場があります。

 

先程の駐車場よりは狭いですが、こちらの方が黒井城跡に近いです。

うめたろうは、興禅寺にも行く予定なので、あちらの駐車場に停めました。

 

 

駐車場には、赤井直正と明智光秀の説明板がありました。

このような説明板を見ると、観光に力を入れているのがわかります。

歴史好きには、うれしいですね。

 

 

黒井城に登るコースは、二つあります。

こちらは、急坂コースです。

 

 

こちらは、なだらかコースです。

もちろん、こちらから登ります(笑)。

 

どうやら、時間はどちらのコースも同じ時間のようです。

駐車場の説明板に、どちらも約35分と書いてありました。

 

 

久々に、「クマ出没注意」の看板の登場です。

持ってきたクマ除けの鈴をセットします。

 

 

獣除けの柵がありました。

最近登る山城には、毎回この柵があったため、近頃は見慣れました・・・。

カギを閉めて、登ります。

 

 

少し登ると、「落石注意」の文字がありました。

上を見ると、巨大な石が・・・。

 

 

下を見ると、落石しています。

見事に、石が割れていました。

 

 

巨石に、ネットがかけられています。

これが落ちてきたら、一発アウトですね・・・。

ダッシュで、通り抜けました。

 

 

緩やかな登りが続き、比較的歩きやすいです。

これなら、快適に山登りができます。

 

 

道も舗装されており、登りやすいです。

さすが、丹波で一番有名な城跡。

 

 

進入禁止の道がありました。

看板もわかりやすくて、迷うことはなさそうです。

 

 

この道が、一番危険だったかも・・・。

金山城跡でもそうでしたが、下が石だとかなり滑ります。

ここは慎重に登りましょう。

 

 

ここで、分かれ道が出てきました。

左が急坂コースで、右がゆるやかコースです。

いつの間にか、急坂コースと合流していたようです。

 

 

ゆるやかな傾斜が続きます。

これぐらいだと、歩いてても、気持ちいいです。

 

 

おぉ・・・、赤門が見えてきました。

キレイな赤色で、雰囲気がある門です。

 

 

こちらが赤門と呼ばれている門です。

この赤門は、黒井の西の坊として、杉の下にあった薬師如来堂の門でした。

 

地域開発のため、取り壊される予定でした。

しかし、黒井の住民の方々が、歴史建造物を守るため、この地に移築しました。

 

 

門の内側に、由来が書いてありました。

平成時代にも、修復されたようです。

地域の人々が、歴史を大切にする姿は、素晴らしいですね。

 

 

こちらは、赤門の裏側です。

赤門から町を一望でき、ここから見える景色も綺麗でした。

景色を眺め、ベンチで休んでいる方がいました。

 

 

こちらは、赤井直正の顕彰碑です。

赤門のすぐ横に、建っています。

 

 

石踏の段跡の看板がありました。

曲輪跡のことでしょうか。

 

 

本丸まであと200メートルです。

あと少しで本丸・・・。

 

 

石がデコボコしています。

この辺りの道は、めちゃくちゃ歩きにくかったです。

 

 

再び、獣除けの柵がありました。

動物から本丸跡の史跡を守っているようです。

 

 

獣除けの柵に、見学路の説明が貼ってありました。

どうやら、通行止めの場所があるようですね。

 

 

柵を越えたら、すぐにこの道があります。

でこぼこした石に、この傾斜です・・・。

めちゃくちゃ、登りづらかったです。

 

 

こちらは、東曲輪跡です。

野面積みの迫力がある石垣です。

 

 

こちらは、三の丸跡です。

こちらにも石垣が残っています。

 

 

石垣にネットが貼られています。

落下防止のためですね。

 

 

仮設の階段が設置してあります。

どうやら、虎口の石段が崩壊しつつあるようです。

 

 

こちらは、二の丸跡です。

結構な、広さがあります。

 

 

こちらは、本丸の石垣です。

ここにも、仮設の階段がありました。

 

 

ついに、本丸跡に到着です。

こちらも広くて、ベンチも3つぐらい設置してあります。

 

 

黒井城の別名は、保月城(ほげつじょう)です。

はじめ、丹波国を領地にしていた赤松氏が、この地に城を築きました。

それから年月が経ち、黒井城の城主は、萩野秋清になります。

 

赤井直正は、萩野氏の養子として、黒井城に入りました。

その後、赤井直正は、萩野秋清を殺害し、黒井城を奪い取ります。

 

 

赤井直正は、氷上郡の全域を支配し、その勇猛ぶりから「丹波の赤鬼」と恐れられました。

また、武田氏の軍学書「甲陽軍鑑」には、「名高キ武士」として、赤井直正の名前があります。

 

明智光秀の丹波攻略が始まると、八上城の波多野秀治と連携し、明智光秀を撃破します。

明智光秀を撤退させた戦いは、「赤井の呼び込み戦法」と言われています。

 

 

明智光秀は、体制を立て直し、再び、丹波攻略を開始。

黒井城を守る赤井直正は、この状況下の中、病に侵され、病死します。

赤井直正の死は、丹波国に衝撃を与えました。

 

黒井城は、赤井直正の子・赤井直義が幼少であったため、弟の赤井幸家が指揮をとります。

しかし、明智光秀により八上城が落城し、孤立した黒井城もついに落城しました。

 

 

黒井の町を一望できます。

ここから赤井直正も、攻めてくる明智軍を眺めていたのでしょうか。

 

 

周囲は、山に囲まれています。

丹波の地は、簡単に攻めることは、難しいことがわかります。

 

興禅寺(こうぜんじ) 春日局生誕地 兵庫県丹波市

 

黒井城から徒歩5分ほどで、興禅寺(こうぜんじ)に着きます。

この寺域一帯は、黒井城の下館(しもやかた)でした。

赤井直正も平時は、黒井城の麓の居館にいたと言います。

 

 

興禅寺の前身は、誓願寺という名前のお寺でした。

誓願寺が戦で焼失すると、黒井城主・赤井直正は、お寺を再建します。

誓願寺は、1626年に下館跡に移転し、寺号を興禅寺に変えました。

 

 

この水濠は、「七間堀」と呼ばれています。

石垣は、黒井城と同様の野面積みです。

当時の下館をそのまま利用したと言われています。

 

 

こちらは、興禅寺の楼門です。

この楼門は、宮津市にある智源寺から移築されました。

とても趣があり、立派な楼門ですね。

 

 

この地で、春日局(かすがのつぼね)は、生まれたと伝わります。

春日局は、3代将軍・徳川家光の乳母であり、江戸城大奥の礎を築きました。

 

 

こちらは、本堂です。

春日局の父は、明智光秀の重臣・斎藤利三(さいとうとしみつ)です。

 

丹波を平定した明智光秀は、斎藤利三に黒井城を与えました。

斎藤利三も、この下館に住んでおり、のちに、娘の斎藤福(春日局)を生みます。

 

 

こちらは、本堂前にある「お福の腰掛石」です。

お福は、3歳までこの地に住んでいました。

きれいな枯山水(かれさんすい)です。

 

 

こちらは、「お福の産湯の井戸」です。

謀反者の家臣の娘が、将軍の乳母になる・・・。

人生は、どうなるかわからないものですね。

 

 

こちらは、境内にある庭園です。

きれいに手入れされています。

 

おわりに・・・

京都府・兵庫県の史跡巡りは、全6回に渡りお送りしました。

今回も、前回の滋賀県同様、明智光秀ゆかりの地を満喫しました。

 

明智光秀が本能寺の変を決意した場所・・・、明智越、愛宕神社。

明智光秀が統治した町・・・、福知山市。

明智光秀の丹波攻略の地・・・、八上城跡、金山城跡、黒井城跡。

 

改めて振り返ると、体力的にハードな日程でした。

初日の明智越と愛宕神社により、体力ゲージはいきなりゼロに・・・(笑)。

しかし、愛宕神社の神聖な雰囲気を、味わうことができたので大満足です。

 

最終日の丹波は、一日に3つの山城を登ったので、体力的にしんどかったです。

最後の目的地を、登りやすい黒井城にしてよかった・・・。

 

大河ドラマ「麒麟がくる」では、残念ながら、今回訪れたお城は、全く登場しませんでした。

しかし、明智光秀の人生にとって、間違いなく、丹波の地は重要な土地でした。

実際、丹波の山々を目の前にして、丹波攻略は相当苦労したんだろうなと実感しました。

 

やっとの思いで、丹波を平定した明智光秀・・・。

明智光秀は、終わりの見えない戦いに、精神的にも体力的にも限界がやってきます。

そして、ついに本能寺で、織田信長を襲撃します。

 

明智光秀ゆかりの地を巡る旅は、次回で最後になります。

次回は、明智光秀の最期の地・京都を、巡りたいと思います。

亀山城跡や本能寺跡、山崎の合戦跡などに訪れる予定です。

 

緊急宣言が解除されないと行けないので、もう少し後になりますが・・・。

大河ドラマ「麒麟がくる」が終了し、明智光秀ブームは落ち着くでしょう。

しかし、最後まで明智光秀の魂を、追いかけたいと思います。

 

明智光秀の丹波攻略はこちら

【続・信長包囲網】織田信長ゆかりの地【戦い⑥】

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