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大河ドラマ「麒麟がくる」第14話「聖徳寺の会見」感想

どうも、うめたろうです。

「麒麟がくる」第14話が放送されました。

14話のタイトルは「聖徳寺の会見」です。

 

今回は、ついに織田信長と斎藤道三が、聖徳寺(しょうとくじ)で会見をしました。

聖徳寺の会見は、歴史的に見て、重要な会見でした。

この会見は、織田信長にとって、尾張の行く末を決める、出来事となりました。

 

主要キャスト

明智光秀(あけちみつひで):長谷川博己

明智光安(あけちみつやす):西村まさ彦

牧(まき):石川さゆり

煕子(ひろこ):木村文乃

斎藤道三(利政)(さいとうどうさん):本木雅弘

斎藤義龍(高政)(さいとうよしたつ):伊藤英明

稲葉良通(いなばよしみち):村田雄浩

深芳野(みよしの):南果歩

織田信長(おだのぶなが):染谷将太

前田利家(まえだとしいえ):入江 甚儀

佐々 成政(さっさ なりまさ):菅裕輔

藤吉郎(とうきちろう):佐々木蔵之介

太原雪斎(たいげんせっさい):伊吹五郎

駒(こま):門脇麦

望月東庵(もちづきとうあん):堺正章

菊丸(きくまる):岡村隆史

 

14話の感想まとめ

斎藤道三と織田信長が聖徳寺で、初の顔合わせをしました。

斎藤道三は、織田信長を待っていましたが、全く、現れません。

斎藤道三が、しびれを切らして立ち上がると、そこに織田信長がやってきました。

 

織田信長は、行軍で見た軽装ではなく、正装に着替えていました。

軍の行列で見た姿と、会見の姿のギャップを、うまく演出する織田信長。

織田信長は、帰蝶の話を強調し、着物も帰蝶のコーディネートであることを斎藤道三に伝えます。

 

織田信長は、ここで帰蝶の話をすることで、「あなたの娘を大事にしています」とアピールをします。

帰蝶の存在を、アピールすることで織田信長は、自分の身を守っています。

斎藤道三は、会見に家臣を連れてきていない織田信長に、なぜ家臣がいないのかを不思議に思います。

 

今の自分には、兵や自分の味方が少ないことを、正直に打ち明ける織田信長。

織田信長は、斎藤道三に対して、正直に、手の内を見せています。

すると織田信長は、奥に待たせていた、二人の家臣を呼びます。

 

二人の家臣とは、佐々成政(さっさなりまさ)と前田利家(まえだとしいえ)でした。

織田信長は、この二人は、失うものがない者たちと説明します。

失うものがない者は、無類の強さをだす・・・。

 

織田信長は、自分も成り上がり者であり、美濃にもそのような人がいると呟きます。

織田信長の発言は、斎藤道三に対して、親近感を抱かせようとしています。

 

「これからの戦も世の中も変わる・・・」

「自分たちも変わらなければならい」

 

織田信長は、このような考えを持っています。

斎藤道三も、考えは同じで、これからの変化に対応していくことが、重要であると思っています。

自分と一緒の価値観をもった人物がいることに、親近感を持ったことでしょう。

 

望月東庵と駒は、駿河に着いていました。

駒は、薬を調達しに、薬屋に入ります。

そこで、菊丸と再会します。

 

 

菊丸は、味噌を売るのをやめて、薬を売っていました。

駒が菊丸と路地で話していると、そこに藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が現れました。

藤吉郎は、無許可で草履を売っていた為、追手に襲われていました。

 

駒に気づいた藤吉郎は、字を読めるようになったことを伝えます。

藤吉郎は、地頭の良さえお発揮して、すでに字が読めるようになっていました。

菊丸に恋のライバル出現ですか・・・。

 

臨済寺(りんざいじ)で、太原雪斎(たいげんせっさい)は、望月当東庵の治療を受けていました。

太原雪斎は、うつけと言われた織田信長を、危険視していました。

優秀な軍師には、織田信長が敵として。危険な人物であることがわかるのでしょう。

 

太原雪斎は、これまで、今川義元の右腕として手腕を発揮し、今川家の発展に大きく貢献をしました。

太原雪斎の死後、有名な「桶狭間(おけはざま)の戦い」が起きます。

太原雪斎が生きていれば、「桶狭間の戦いで、今川義元の敗戦はなかっただろう」と言われています。

 

1554(天文23)年、今川軍と織田軍の間で、再び戦いが始まろうとしています。

今川氏は尾張進出に向けて、織田方の水野氏を討つために、進軍します。

水野氏が守る緒川(おがわ)城の攻略に向け、村木(むらき)に砦を築きました。

 

織田信長は、今川軍を撃退するため、村木砦を攻撃しようと考えます。

しかし、織田信長の背後には、清州城の織田彦五郎信友がいる為、簡単に動くことができません。

そこで、織田信長は、斎藤道三に使者を送り、那古野城を守る援軍を求めたのです。

 

斎藤道三は、織田に援軍を送ることを決めていましたが、斎藤義龍たちに反対されます。

織田信長を甘く見ている斎藤義龍たちに、斎藤道三は忠告します。

 

斎藤道三は、織田信長にすでに惚れていますね(笑)。

家臣の稲葉良通は、斎藤義龍に政(まつりごと)をしてほしいと思っています。

斎藤義龍は、家督を意識することになります。

 

母に会いに来た斎藤義龍でしたが、その姿が見当たりません。

なんと、深芳野(みよしの)は、自らの命を絶っていました。

急に、何で亡くなったのってレベルで死にました・・・。

 

 

深芳野は、斎藤道三の側室であり、斎藤義龍の母親でした。

斎藤道三と斎藤義龍が、深芳野の元へ駆けつけてきます。

斎藤義龍は、道三のせいで、母が死んだと詰め寄ります。

 

斎藤義龍は、「母も自分が守護代になるのを望んでいたと」と道三に吹っ掛けます。

そして、「償いとして、家督をゆずれ」と詰め寄りました。

母親の死を利用する斎藤義龍・・・。

 

斎藤義龍は、この機をチャンスと捕らえ、斎藤道三の口から、「家督を譲る」と言わせました。

これにより、美濃の情勢は一変するのでした・・・

 

聖徳寺(しょうとくじ)跡

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織田信長と斎藤道三が会見した聖徳寺は、現在、移転をしています。

場所は、名古屋市守山区と名古屋市天白区の、二カ所にあります。

二人が会見した聖徳寺跡には、石碑が建てられています。

 

「信長公記(しんちょうこうき)」では、聖徳寺の会見の様子が書かれています。

斎藤道三が、行列時に見た信長の姿は、軽装であったが、会見場では、きっちりと正装をしていました。

その光景を見た家中の者は、信長の日ごろのうつけ振りは、わざと作っていたのかと驚きます。

 

これ以降、家中の者は、次第に織田信長のことを、見直すようになりました。

会見では、湯漬けを食べ、お酒をかわしました。

斎道三は、美濃衆の槍は短く、尾張の衆の槍は長大であったことから、面白くない様子で帰路につきます。

 

道中、斎藤道三の家来である猪子兵助が斎藤道三に言います。

「やはり織田信長は、たわけでごさいましたな」

それに対して道三は答えます。

 

「無念である。わが子供たちは、必ず、そのたわけの門前に、馬を繋ぐことになろう」

以後、斎藤道三の前で、織田信長のことを「たわけ」と言う者は、いなくなりました。

 

聖徳寺跡(しょうとくじあと)

住所:愛知県一宮市冨田

アクセス:名古屋鉄道尾西線萩原駅下車 i-バス尾西南コースで「聖徳寺」下車、徒歩1分

 

臨済寺(りんざいじ)

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静岡県静岡市葵区にある臨済寺は、今川家の菩提寺です。

太原雪斎は、軍師としての傍ら、この臨済寺の住職をも務めていました。

 

三河の徳川家康は、12年間もの間、今川家の人質となっていました。

の間、徳川家康は、臨済寺で太原雪斎から、教養や学問を学んでいました。

 

臨済寺には、現在でも「竹千代君手習いの間」が残されています。

また、本堂は国の重要文化財になっており、大変貴重な建物となっています。

臨済寺(りんざいじ)

住所:静岡県静岡市葵区大岩町7-1

アクセス: JR静岡駅からバスで15分、「臨済寺」下車、徒歩約5分

 

村木砦(むらきとりで)の戦い

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1554年(天文23)、再び、今川家と織田信長の戦いが始まりました。

この戦いを、「村木砦(むらきとりで)の戦い」と言います。

今川氏が村木に砦を築き、水野氏が守る緒川(おがわ)城を攻撃しようとします。

 

村木砦があった場所は、現在、愛知県知多郡東浦(ひがしうら)町あたりと、言われています。

この時、斎藤道三は、織田信長に援軍を派遣しています。

 

安藤守就(あんどうもりなり)を大将とした、1000人の兵を送りました。

安藤守就が、那古野城の近郊に着陣すると、織田信長は丁寧にお礼を述べます。

織田信長は、敵に気づかれないように、緒川城に向かいます。

 

海を渡って向かうつもりでしたが、強風で海が荒れており、船を出すことに、船頭たちは反対しました。

しかし、織田信長は、無理やり船を出させ、その結果、短時間で緒川城に着きます。

緒川城で水野信元と合流した織田信長は、砦の状況を確認します。

 

織田信長は、現在の村木神社がある場所に、本陣としました。

 

・東の大手門は、水野軍

・西側の搦手門は、叔父の織田信光(のぶみつ)

・南側から、織田信長本隊

 

織田軍は、各方向から、砦に向けて、攻撃を開始しました。

 

織田信長は、鉄砲隊に代わる代わる発砲させ、敵をなぎ倒していきます。

今川軍は、見慣れない武器に動揺し、負傷者や使者が増えつづけます。

戦いは、今川軍が降伏し、数時間で決着しました。

 

 

織田信長はこの戦いで、お小姓衆が数多く討ち死にした為、涙を流したと言われています。

また、山間の広場で勝利の宴会を開きました。

その場所は、今でも、飯喰場(いくいば)と呼ばれています。

 

斎藤道三は、安藤守成から、織田信長の報告を聞き、「恐るべき男だ」と言ったと書かれています。

この村木砦の戦いで織田信長は、合戦としてはじめて、鉄砲を使ったと言われています。

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