どうも、うめたろうです。
「麒麟がくる」第14話が放送されました。
14話のタイトルは「聖徳寺の会見」です。
今回は、ついに織田信長と斎藤道三が、聖徳寺(しょうとくじ)で会見をしました。
聖徳寺の会見は、歴史的に見て、重要な会見でした。
この会見は、織田信長にとって、尾張の行く末を決める、出来事となりました。
主要キャスト
明智光秀(あけちみつひで):長谷川博己
明智光安(あけちみつやす):西村まさ彦
牧(まき):石川さゆり
煕子(ひろこ):木村文乃
斎藤道三(利政)(さいとうどうさん):本木雅弘
斎藤義龍(高政)(さいとうよしたつ):伊藤英明
稲葉良通(いなばよしみち):村田雄浩
深芳野(みよしの):南果歩
織田信長(おだのぶなが):染谷将太
前田利家(まえだとしいえ):入江 甚儀
佐々 成政(さっさ なりまさ):菅裕輔
藤吉郎(とうきちろう):佐々木蔵之介
太原雪斎(たいげんせっさい):伊吹五郎
駒(こま):門脇麦
望月東庵(もちづきとうあん):堺正章
菊丸(きくまる):岡村隆史
14話の感想まとめ
「道三とのシーンは、演じていてとてもおもしろかったです。本木雅弘さんが演じる道三は、威厳と迫力があるのに、どこかユニークさもある。ただ圧力を与えるのではなく、人の懐にひょいと入ってきて、隙を見つけてグサッとえぐる。本当にマムシのようでした(笑)」(染谷将太)#麒麟がくる pic.twitter.com/yCR4eOXMzr
— 【公式】大河ドラマ「麒麟がくる」毎週日曜放送 (@nhk_kirin) April 19, 2020
斎藤道三と織田信長が聖徳寺で、初の顔合わせをしました。
斎藤道三は、織田信長を待っていましたが、全く、現れません。
斎藤道三が、しびれを切らして立ち上がると、そこに織田信長がやってきました。
織田信長は、行軍で見た軽装ではなく、正装に着替えていました。
軍の行列で見た姿と、会見の姿のギャップを、うまく演出する織田信長。
織田信長は、帰蝶の話を強調し、着物も帰蝶のコーディネートであることを斎藤道三に伝えます。
織田信長は、ここで帰蝶の話をすることで、「あなたの娘を大事にしています」とアピールをします。
帰蝶の存在を、アピールすることで織田信長は、自分の身を守っています。
斎藤道三は、会見に家臣を連れてきていない織田信長に、なぜ家臣がいないのかを不思議に思います。
今の自分には、兵や自分の味方が少ないことを、正直に打ち明ける織田信長。
織田信長は、斎藤道三に対して、正直に、手の内を見せています。
すると織田信長は、奥に待たせていた、二人の家臣を呼びます。
二人の家臣とは、佐々成政(さっさなりまさ)と前田利家(まえだとしいえ)でした。
織田信長は、この二人は、失うものがない者たちと説明します。
失うものがない者は、無類の強さをだす・・・。
織田信長は、自分も成り上がり者であり、美濃にもそのような人がいると呟きます。
織田信長の発言は、斎藤道三に対して、親近感を抱かせようとしています。
「これからの戦も世の中も変わる・・・」
「自分たちも変わらなければならい」
織田信長は、このような考えを持っています。
斎藤道三も、考えは同じで、これからの変化に対応していくことが、重要であると思っています。
自分と一緒の価値観をもった人物がいることに、親近感を持ったことでしょう。
望月東庵と駒は、駿河に着いていました。
駒は、薬を調達しに、薬屋に入ります。
そこで、菊丸と再会します。
「駒さん、菊丸さんに遅れて登場。現場では私も藤吉郎も新参者なので、“こんな感じでどうでしょうか?大丈夫ですか?”でやらせてもらっています。そして、“芝居で迷ったときはとにかく大きな声で言う” で、しのいでいます(笑)」(佐々木蔵之介)#麒麟がくる pic.twitter.com/QDlHZLNV3x
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菊丸は、味噌を売るのをやめて、薬を売っていました。
駒が菊丸と路地で話していると、そこに藤吉郎(のちの豊臣秀吉)が現れました。
藤吉郎は、無許可で草履を売っていた為、追手に襲われていました。
駒に気づいた藤吉郎は、字を読めるようになったことを伝えます。
藤吉郎は、地頭の良さえお発揮して、すでに字が読めるようになっていました。
菊丸に恋のライバル出現ですか・・・。
臨済寺(りんざいじ)で、太原雪斎(たいげんせっさい)は、望月当東庵の治療を受けていました。
太原雪斎は、うつけと言われた織田信長を、危険視していました。
優秀な軍師には、織田信長が敵として。危険な人物であることがわかるのでしょう。
太原雪斎は、これまで、今川義元の右腕として手腕を発揮し、今川家の発展に大きく貢献をしました。
太原雪斎の死後、有名な「桶狭間(おけはざま)の戦い」が起きます。
太原雪斎が生きていれば、「桶狭間の戦いで、今川義元の敗戦はなかっただろう」と言われています。
1554(天文23)年、今川軍と織田軍の間で、再び戦いが始まろうとしています。
今川氏は尾張進出に向けて、織田方の水野氏を討つために、進軍します。
水野氏が守る緒川(おがわ)城の攻略に向け、村木(むらき)に砦を築きました。
織田信長は、今川軍を撃退するため、村木砦を攻撃しようと考えます。
しかし、織田信長の背後には、清州城の織田彦五郎信友がいる為、簡単に動くことができません。
そこで、織田信長は、斎藤道三に使者を送り、那古野城を守る援軍を求めたのです。
斎藤道三は、織田に援軍を送ることを決めていましたが、斎藤義龍たちに反対されます。
織田信長を甘く見ている斎藤義龍たちに、斎藤道三は忠告します。
斎藤道三は、織田信長にすでに惚れていますね(笑)。
家臣の稲葉良通は、斎藤義龍に政(まつりごと)をしてほしいと思っています。
斎藤義龍は、家督を意識することになります。
母に会いに来た斎藤義龍でしたが、その姿が見当たりません。
なんと、深芳野(みよしの)は、自らの命を絶っていました。
急に、何で亡くなったのってレベルで死にました・・・。
「高政にとって信じられるものは、母である深芳野から産まれたということだけだった。その母の死によって、唯一のよりどころを失った。道三に家督を譲るように迫ったのは、高政の思いというより、母の長年の願いをかなえたかったからだと思います」(伊藤英明)
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深芳野は、斎藤道三の側室であり、斎藤義龍の母親でした。
斎藤道三と斎藤義龍が、深芳野の元へ駆けつけてきます。
斎藤義龍は、道三のせいで、母が死んだと詰め寄ります。
斎藤義龍は、「母も自分が守護代になるのを望んでいたと」と道三に吹っ掛けます。
そして、「償いとして、家督をゆずれ」と詰め寄りました。
母親の死を利用する斎藤義龍・・・。
斎藤義龍は、この機をチャンスと捕らえ、斎藤道三の口から、「家督を譲る」と言わせました。
これにより、美濃の情勢は一変するのでした・・・
聖徳寺(しょうとくじ)跡
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織田信長と斎藤道三が会見した聖徳寺は、現在、移転をしています。
場所は、名古屋市守山区と名古屋市天白区の、二カ所にあります。
二人が会見した聖徳寺跡には、石碑が建てられています。
「信長公記(しんちょうこうき)」では、聖徳寺の会見の様子が書かれています。
斎藤道三が、行列時に見た信長の姿は、軽装であったが、会見場では、きっちりと正装をしていました。
その光景を見た家中の者は、信長の日ごろのうつけ振りは、わざと作っていたのかと驚きます。
これ以降、家中の者は、次第に織田信長のことを、見直すようになりました。
会見では、湯漬けを食べ、お酒をかわしました。
斎道三は、美濃衆の槍は短く、尾張の衆の槍は長大であったことから、面白くない様子で帰路につきます。
道中、斎藤道三の家来である猪子兵助が斎藤道三に言います。
「やはり織田信長は、たわけでごさいましたな」
それに対して道三は答えます。
「無念である。わが子供たちは、必ず、そのたわけの門前に、馬を繋ぐことになろう」
以後、斎藤道三の前で、織田信長のことを「たわけ」と言う者は、いなくなりました。
聖徳寺跡(しょうとくじあと)
住所:愛知県一宮市冨田
アクセス:名古屋鉄道尾西線萩原駅下車 i-バス尾西南コースで「聖徳寺」下車、徒歩1分
臨済寺(りんざいじ)
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静岡県静岡市葵区にある臨済寺は、今川家の菩提寺です。
太原雪斎は、軍師としての傍ら、この臨済寺の住職をも務めていました。
三河の徳川家康は、12年間もの間、今川家の人質となっていました。
その間、徳川家康は、臨済寺で太原雪斎から、教養や学問を学んでいました。
臨済寺には、現在でも「竹千代君手習いの間」が残されています。
また、本堂は国の重要文化財になっており、大変貴重な建物となっています。
臨済寺(りんざいじ)
住所:静岡県静岡市葵区大岩町7-1
アクセス: JR静岡駅からバスで15分、「臨済寺」下車、徒歩約5分
村木砦(むらきとりで)の戦い
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1554年(天文23)、再び、今川家と織田信長の戦いが始まりました。
この戦いを、「村木砦(むらきとりで)の戦い」と言います。
今川氏が村木に砦を築き、水野氏が守る緒川(おがわ)城を攻撃しようとします。
村木砦があった場所は、現在、愛知県知多郡東浦(ひがしうら)町あたりと、言われています。
この時、斎藤道三は、織田信長に援軍を派遣しています。
安藤守就(あんどうもりなり)を大将とした、1000人の兵を送りました。
安藤守就が、那古野城の近郊に着陣すると、織田信長は丁寧にお礼を述べます。
織田信長は、敵に気づかれないように、緒川城に向かいます。
海を渡って向かうつもりでしたが、強風で海が荒れており、船を出すことに、船頭たちは反対しました。
しかし、織田信長は、無理やり船を出させ、その結果、短時間で緒川城に着きます。
緒川城で水野信元と合流した織田信長は、砦の状況を確認します。
織田信長は、現在の村木神社がある場所に、本陣としました。
・東の大手門は、水野軍
・西側の搦手門は、叔父の織田信光(のぶみつ)
・南側から、織田信長本隊
織田軍は、各方向から、砦に向けて、攻撃を開始しました。
織田信長は、鉄砲隊に代わる代わる発砲させ、敵をなぎ倒していきます。
今川軍は、見慣れない武器に動揺し、負傷者や使者が増えつづけます。
戦いは、今川軍が降伏し、数時間で決着しました。
織田信長はこの戦いで、お小姓衆が数多く討ち死にした為、涙を流したと言われています。
また、山間の広場で勝利の宴会を開きました。
その場所は、今でも、飯喰場(いくいば)と呼ばれています。
斎藤道三は、安藤守成から、織田信長の報告を聞き、「恐るべき男だ」と言ったと書かれています。
この村木砦の戦いで織田信長は、合戦としてはじめて、鉄砲を使ったと言われています。